生活

2017年3月10日 (金)

代理人を全うしました。

昨年の7月以降、私を悩ませていた問題が解決しました。

東京のN市に母方の叔母がいます。関東では、私と従妹しか身寄りがありません。昨年7月に運よく、T老人ホームに入居できたのですが、引っ越しが9月末と大幅に時間がかかり、住んでいたマンションの売却に私が当たりました。

売るための書類が揃うまで4か月。叔母が歩けないので、印鑑証明や住民票をとってくる時間、地主が借地権を設定しており、借地権の更新、譲渡承諾書の準備などで手間がかかりました。

幸い売りに出してすぐに買い手がついたのですが、叔母から容赦のない要求が多々出ました。七転び八起きというのでしょうか?「Mさんが買いたがっているから会って」「あのマンションは○〇万円で売れるはず」「××会社からチラシが入っていて買うと言っている。連絡してほしい。」等々、こちらの進行にはお構いなしでした。

結局、良い不動産屋と良い買主に恵まれて、何とか契約にこぎつけました。もっとも心強かったのは妻の献身的なフォローでした。これがなければ途中であきらめていたでしょう。代理人というのは自分でやるより数倍のパワーが必要だと思いました。

もううんざりです。7月からこの3月まで、この案件を思い浮かべるたびに「吐き気」を催しました。完全な鬱状態です。感謝されたり、報酬があればモチベーションの維持は出来るのでしょうが、今回のような不毛な動きはもうしたくないと思っています。この叔母とは、母が死亡して以来、25年以上、音信がなく世話になった記憶もない。母が亡くなった時の葬式には参列してくれませんでした。

達成感はありますが、充実感は「0」です。こんな経験は初めてでした。

本件については、別途詳細を世に公表し、様々な問題提起をしていきたい、と考えています。

 

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2015年10月 4日 (日)

キャリア形成

10月初旬の23日で、急激に私のこれから先のキャリアが形成されてきました。

1つは、半年後。現在、週38コマの大学勤務を、週26コマに減らすという希望を大学側に受け入れてもらいました。週3日はきつく、余裕がなく、最近面白みのない自分がいると自覚していました。そんな折、妻から「原因は明白。勤務を週2日に戻してもらった方がいい」とズバリ指摘されました。熟考を重ね、休み明けに大学に申入れました。幸い、この秋から講師デビューした新人講師が快く引き受けてくれたので、この願いはすぐに叶いました。ホッとしました。

2つ目は、NPOの今後です。実は私がキャリアコンサルタントとして属している協会は、現理事長が引退を表明し、本部も東京から横浜に移管したいという話がここにきて急浮上しました。その総会が10月中旬に行われるので、神奈川Gとして、移管を受け容れるか、早急に結論を出さなければならないという状況です。下手をすると組織解体にまで至るかもしれない危機にあたってどうするか決断を迫られていたわけです。ポイントは誰が理事長をやるか?ということです。江ノ島Gの代表を決めるのでさえ、先送りしていたのに、全国組織の長など受ける人がいるわけがありません。
実は遡ること10日ほどで、私のもとに二人の幹部から、理事長就任要請が来ていました。私としては、大学の授業さえ減らそうとしている矢先にこんな大組織の長という大役を引き受けられるはずがありません。よってその場でお断わりしたのですが、その後全く解決の気配がありません。
だれかがやらなければこの組織がつぶれる、私さえその気になれば組織を救える、人の役に立てるうちが華、快いメンバーと一緒に社会貢献できる、と考えたら、貴方はどうしますか?私は、2年後なら受けてもいい、という結論を出しました。見て見ぬふりができないという悪い癖がまた出てしまいました。それを察して2年なら頑張れると、現江ノ島代表が理事長就任を承諾と相成り、この件も一段落となりました。

というわけで、半年後と2年後のかなり確度の高いキャリア形成ができあがってしまいました。決まる時は、毎回こんなものです。2日間で5年分ぐらい決まってしまった気分です。

 

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2015年9月 9日 (水)

恩師の訃報

大学時代の恩師M先生の訃報が届きました。95歳、式等すべて身内で済ませ「飛ぶ鳥跡を濁さず」の諺どおりの用意周到のお別れでした。

最後にお会いしたのは数年前のゼミの会食会でした。90を過ぎたのに矍鑠としておられ、頭は相変わらず冴えておられました。

私はMゼミの1期生ということもあり、会社勤めになってからも何かと相談にのっていただき世話になった記憶があります。M先生は人としても教師としても私の憧れでした。私のような腕白坊主をいつも笑顔で心地よく包んでくれました。多くの人を受け容れられる広い心を持ちたい、泰然自若の心など私が常日頃目標として意識していることはM先生から受けた影響が多々あると思っています。私の今日あるのはM先生のお陰です。先生との歴史を振り返るにつけ、嗚咽がこみあげてきました。せめてもの慰みは天寿を全うされたであろうということです。

訃報が書かれた葉書に感動しました。なんと故人の筆蹟で生前の感謝の気持が記されているのです(日だけが後で記入する形になっている)。何というカッコよさでしょう。私は改めて、人の価値は死に方で決まると思ってしまいました。

私もできればこのやり方を模倣しようと心に決め、葉書は宝物として持ち歩くことにしました。Mゼミの何人かは私と同じことを考えたのではないでしょうか?

これが恩師からの最後の教えでした。

先生ありがとうございました!!

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2015年2月21日 (土)

後発スーパー

グローバル・マーケテイング学会の会員であった私の興味の1つが、様々な業態における市中の市場環境と競争環境です。

昨年12月に私の町に、Oスーパーができました。それまでは、Dスーパーの独壇場だったので、消費者としての立場で見るとそれは好ましい現象と考えていました。確かに、Oがスタートしてしばらくは、Dの客が減ったようでした。出店後しばらくは、Dでの買い物はレジで並ぶことはなかったように思います。
1カ月半ほど経過したので、現場の市場調査に出かけてみました。2回目の入店でしたが、今回はいろいろ観察してみました。
はっきり結論を言います。このままでは、このOスーパーは店を閉じることになるのは時間の問題だと思います。
その理由は、一言で言うと、ユーザーライクでない、ということです。最近、Dスーパーの客が以前と同じように戻った感がありましたが、その理由がわかりました。
1.駐車場が狭く、行きと帰りの車のすれ違いに神経を使う。2.動線が客のことを考えていない。まず地下に行って買い物をして1階で買い足して清算というシステムになっているが、これでは買い忘れても戻れない。3.エレベーターが2台しかなく狭い。4.品ぞろえに特徴がない。というのが主な理由です。私はOスーパーにいて息苦しくてもうここに来たくないという気持ちに駆られました。
居住人数が多い地域で、Dスーパーの一人勝ちという状況をみるにつけ、出店を決めたのでしょうが、マーッケッターがお粗末でした。何でかような形態で出店したのか全く意図が判りかねます。3年もつでしょうか?

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2014年9月21日 (日)

爆破予告

怖い事件が起こりました。

9月19日は、秋授業の私の始動日です。長い夏休みが終わり、仕事モードに頭を切り替えて大学に向かいました。午前中の2限が予定通り終わり、午後の3限が始まる直前の1時24分にそれは突然やってきました。
「爆破予告がありました。先生方は、速やかに、校舎から離れてください。授業はすべて休講とします。」というアナウンスでした。私は教室にいき、待っている生徒にその由を伝え、自らもほうほうのていで退出しました。校舎の外に出るまでが、すごい人でやっと歩けるいう状態でした。そりゃそうですよね。教室に入っていた学生が一斉に帰るのですから。
ひと騒がせな事件でした。これは夜の全国ネットで放送されるかな、と思いましたが、大したニュースにはなりませんでしたが、FACE BOOKにのせると、なかなかの反響でした。
この時、思ったこと。
1.大学の処置は適切かつ迅速
  昨年の台風の時もいちはやく全休講の指示を大学はしましたが、その決断のスピードは 
  いいと思った。
2.休講のあとの手続きや調整をしなければならない
  これがあるから私は自分の都合で休講にしたことはありませんでした。今年から、休講は  必ず補講するというルールを事前に強調されています。
  補講の日の設定、教室の確保をしなければなりません。
3.履修制限の選考日程の変更を申し入れなくてはならない。
  初回のガイダンスができなかったので、希望者が規定人員より多い場合の履修制限の発  表は当然のことながら、事務的には関係者に言っておかないと大変なことになります。
4.瞬間、嬉しいという感情があった。これは休講で喜ぶ学生と同じ感覚です。
5.滅多にない事件に遭遇し五体満足であったのは、ラッキー。その空間に自分がいて実体
  験できる機会はそうあるものではないので、この状況はプラスに受け止めることができる。
というわけで、これから少し修復に時間がかかりますが、まあいいか、ということです。

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2014年8月30日 (土)

浦島太郎

退職して丸7年経過しようとしています。この2年ほどは、ほとんどの仕事現場が横浜から西に集中していた関係で、久しぶりの都内では、「大きな変化」というサプライズがありました。

その1つ目は、日本橋。ここはコーチングの師匠の事務所があったり、研修の仕事をいただいたD社がある所で2年前まではよく来ていました。しかし「COREDO室町」となり大きく変貌しました。弟夫婦と年に2回ぐらい東京駅周辺で会食するので気がつきました。第一から第三まであり、装いも全く変わってしまいました。看板をチェックしてみると、入ってみたいレストランとショップが多数あり、魅力的な場所になりました。
2つ目は、上野駅周辺です。先日、台湾の故宮博物館の宝物展に上野の東京国立博物館に行った時のことです。帰りに御徒町に寄ろうと考え、坂を下りていくと、様相ががらりと変わっていたのです。いつも楽しみにしていた土産物屋が無くなっていて、飲食店をはじめとした一大商店街が現出していました。ガード下にも店が並んでいました。ここも再度、気を入れてこなければなるまい、と思いました。
2か所ともたった2年の間の様変わりです。
「井の中の蛙大海を知らず」まさしく私のことでした。
現代の浦島太郎!
だれもが私みたいになる可能性がありますよ。

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2014年8月24日 (日)

自分の中に「初」を創る

今年夏の甲子園高校野球でちょっとした珍事がおきました。1回戦が終わった時点で、北越のチーム(新潟、富山、石川、福井、長野)5校がすべて勝ち進んだということです。これらの県以外の出身の人にとってはたいしたニュースではないでしょうが、石川県出身の私のような者には「初」の快挙という言葉がピタリです。今迄、ほとんど1回戦で負けていた弱小県のチームが勝った。それも5校すべてというところに価値があります。通常の場合の確率では、32分の1ですが弱小なるが故にその3倍の今96回大会で初、ということになったのでしょう。

何事においても「初」には不安感や緊張感を伴うものですが、一方ワクワク感も多々あります。私が常々意識しているのは、新しい経験に自らの身を置くことです。自分の中に「初」を創るのです。するとワクワク感が生まれ、モチベーションが上がり、生きていくことが楽しくなります。まさしく人生を楽しく生きるコツです。どんな小さな「初」でもいい。簡単にできることでもチャレンジングなことでもどちらでもいい。

私達の身の回りにある物事は、ざっくり3つに分類されます。1つめは、すでに習慣化されていて意識しなくてもできること。食べて、寝て、起きるという人本来の行動や日常の仕草や癖がこの部類に入ります。2つめは、意識しないとできないがすでに経験済みであること。その最も大きなものは仕事でしょう。そして、3つめが未経験の「初」ものです。そのように考えると「初」に該当するものは身の回りに結構あることがわかるでしょう。

この「初」ものを分解すると、(A)3パターン×(B)3パターンの9通りに細分化できます。(A)はマインドの視点です。自らが①積極的にやりたい②やりたくない③どちらでもない、考えもしていなかった、の3通りです。もう一方の(B)は、能力やスキルという視点です。①できそう②できなさそう③やってみないとわからない、の3通りです。この9つのパターンの中で「初」を創り出すグループは、(A)③でかつ(B)③。いままで視野になくやってみないとわからないこと、ここが「初」の宝庫なのです。「初」を選びしばらく続けていると「初」の範囲が徐々に広がってきて、気がついた時には、自分も周りも変わっていたということがよくあるのです。「初」を探した初期と比べると、格段にモチベーションが上がり、ポジテイブな視点が広がっているはずです。

1日に1つの「初」。1カ月に1つの「初」というように短期と中期に分けてもいい。できそうなことは短期。チャレンジングなことは中期という具合です。

日々同じように十年一日のごとく生きていくことは、それはそれで敬意を表しますが、普通の人は、そこに不安や焦りが出てきます。このマイナス感情の代わりにポジテイブな良い運を掴むためには、「初」を創ることが有力な手段です。

 

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2014年8月14日 (木)

ブログ再開

実は、トラブルありきで、ブログを開店休業状態にしていました。FACE BOOKでは、ブログ夏休み宣言をしました。今回、Webを元プロに診てもらったところ、原因が判明し、解決しましたので、2週間ぶりに再開いたします。

私は、プロバイダーのリニューアル時における「改悪」と思ったのですが、そうではありませんでした。原因は、インターネットの初期画面(デファクト)の設定にありました。
従来は、MS社の「インターネット・エクスプローラー」が圧倒的に多かったと思うのですが、最近脆弱性が露呈し、社会問題にまでなりました。その際、ほとんどの人は様々な手を打ったと思います。私は、「グーグル」にデファクトを変えました。
ところが、約1か月前に、デファクトを「ファイア・フォックス」に変えなければならないことが起きたのです。それは、T大学の受講学生の成績のインプットです。ファイア・フォックスに変えないと成績がインプットできない仕組みにシステムが変わっていたのです。私は、IT音痴なので、「ファイア・フォックス」にたどり着くまでにかなりのエネルギーを使いましたが、全く使用者のことを考慮していないメンテ会社と大学のやり方に憤慨したものです。
そして、今回は逆に「グーグル」設定になっていないために、肝心な画面が現れなかったというわけです。
苦しい展開でしたが、大元の原因が取り除かれたので、ブログをとめている理由がなくなりました。
こんなことで、苦戦しているのは私だけ?なのでしょうか?
類似の事が起きたら、ぜひインターネットのデファクトを調べてみてください。
また、プログの愛読、よろしくお願いします。

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2014年6月21日 (土)

ツキがある

小田急脱線。運転再開に12時間。
小田急相模大野駅構内で19日夜に起きた回送電車(6両編成)の脱線事故で、運転見合わせが続いていた小田急線新百合丘ー相武台前間と江ノ島線相模大野ー大和間は20日午前6時過ぎから運転を再開した。午後1時にはほぼ平常ダイヤに戻り、21日には特急も運行の見込み。

これは21日のM新聞の朝刊紙面です。このニュースと私の日常生活が直接絡みました。ツキ、不ツキの実態が実体験を通じて、説明できる絶好の機会です。
私は18日の夜は、小田急線の東海大学前で飲んでいました。7時ぐらいから始まって、10時ぐらいに終了しました。何事もなく帰宅したのですが、翌日の19日に脱線事故が起こったのです。一晩中全線不通のようでしたので、1日ずれていたら、帰宅は叶わなかったかもしれません。これが第一幕。
翌、20日が第2幕となりました。20日は、朝の一限から授業があり、通常AM6:50頃、車で家を出ます。ところが、車のフロントガラスにひびが入り、7月初旬に修理の予定となっており、運転するのが危険という状況にありました。当日、車で行くか、電車で行くか迷った挙句、まあ大丈夫だろう、ということで車通勤を選択しました。大学まで問題なく到着し、一限の9:20からの授業に臨みました。金曜日の一限という学生にとっては出にくい時間帯ですが、毎回高い出席率を記録している不思議なクラスです。ところがこの日は、50名以上いるはずが40名弱しか生徒がいません。席は空け空けです。私がまず考えたのは、サッカーのWCの影響です。私は車のTVで、日本対ギリシャ戦を見ていました。そう思って生徒に聞いてみると、あにはからんや、小田急線が遅延しているという話でした。そのごに及んで、小田急線が全線普及したという朝のニュースは現場的にはまだまだ」混乱のさなかであったということが理解できました。もし私が電車通勤していたら、イライラさせられた揚句、一限を休講にせざるを得なかったと思います。一度休講にすると代替の日を設定せねばならずいろいろと厄介です。
もし、飲み会が1日ずれていたら、もし翌日電車通勤を選択したら、私はこの「不ツキ」の網に引っ掛かっていました。1幕、2幕とも「不ツキ」を結果的に回避したのは、「ツキ」があると言えるでしょう。何の考えもリスクマネジメントもありません。
そう考えると、ツキー不ツキは紙一重ということになります。これは真理ではないか、という気がします。

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2014年5月 8日 (木)

 

車を買い換えました。HONDAのCRVから、フォルックスワーゲンのビートルに買い換えました。車はこれで、6台目です。43年間で6台ですから、1台約7年ということになります。

学生時代に算盤の教師のアルバイトで稼いだ20万円のブルーバードに始まり、1200CCの黄色いサニー、富士宮に行ってから衝動買いしたワインレッドのブルーバード3S、大阪転勤後購入し転勤で妻を乗せて東京に帰ってきたカリーナ、釣りと犬のために買った日産の3000CCテラノ、横浜への引っ越し直前に入手したCRV、そして今回です。
多分これが最後の車になると思います。
なぜ、今買ったのか?
消費税が上がったばかりなのに。去年11月末に車検をとったばかりなのに。
MINDの分析をしてみます。
その最大の目的は、最後の車で日本一周を目論んでいるということです。妻と2人乗れて、釣り道具がつめれば、経済的な車の方がベターです。入手した「ビートル」は充分この要望に叶う車です。
なぜ今なのか、というと、VWのビートルという車の姿の美しさにほれ込んだのと、「デニムブルー」という色に乗ってみたいという強い気持ちが働きました。なによりも、昔からVWに憧れをもっていたのも事実です。BeetleとBeatlesがだぶって水面下の意識にあったとも思えます。また、夫婦そろって、是非手に入れたい、と同意見だったこともその意識をプッシュしました。
試乗してナイスな感触を得たのも大きな理由です。昔の1200CCとは全然違う。音、ハンドリング、内装どれをとっても満足できるものでした。妨げになるのは、旧CRVに対する愛着だけだったと言えます。
若ければ、熟考しもっと慎重になるのでしょうが、この年ではブレーキが効かず、初めて行ってその場で決めてしまうというまたまたの衝動買いでした。
最も大きな要因は、販売員Mさんの接客です。私の無理やりな要求をすべて受けいれてくれました。そして丁寧にフォローしてくれました。何年か前に、家具を買うつもりで行って、店員の応対の稚拙さにあきれ、購入を断念したことがありましたが、それとは真逆です。要求を聞いてくれれば、それは買わざるを得ないでしょう。衝動買いの要員は意外とそんなところにあるのではないでしょうか?

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