どこにも生きる知恵はある
東京都行政のトップのM氏が日々話題になっていました。結局、辞職ということで幕引きが図られましたが巷においても話題になっていたことと思います。
民間のオーナー会社の社長でも「ここまでやるか?」と驚きに値する前代未聞の「せこい」公私混同が問題になっていました。どこの世界にも「守銭奴」はいるものです。私がいた会社では家庭で使う家電製品を会社の経費で買い揃えたり、NPOでは用事もないのに事務所に出て日当を受け取るといったお金に汚い人達が実在していました。いずれも、組織のトップになってからこの資質が開花したものです。チェック機能が働かない、ここまでやれてしまうことをここまで知らずその権限に舞い上がってしまった等、そうなる理由は多々あるのですが、使っていたお金が税金ではなかった、というところが大きな違いです。
本件について評論や批判をしてるだけでは何にもなりません。今回私はM氏の金や地位への異常な執着を垣間見て、1つの物の見方(A)と1つのストレス解消法(B)を思いつきました。要は、いつでもどこにでも「生きる知恵」即ち事実に拠る教訓はあるのです。
Aは、人があることに異常な執念を見せた時、それはその人がそのことに別のところで大きく関与している可能性が高いということです。上述のM氏は、公人はクリーンでなければならないとクリーン性を殊更強調して民衆に訴え参議院議員に当選しました。それが今はどうでしょう?実体はダーティそのもので、言っていることと間逆の行為をとっていたのです。かって野党のトップであったW氏は他党の政治献金問題を異常なまでに罵倒・追求していました。しかし、自分自身同様のことをやっていることが露見し、全く説明ができず、挙句の果てに、党は分裂してしまいました。このパターンは都のM氏にも当てはまり、自分がしている悪いことや後ろめたいことを相手や言語に投影する所謂「ミラーリング」現象ではないかと思うのです。異常にある1点に人がこだわりをみせた時、その人自身がそうなのではないか、と見てもいいのではないか、と思うのです。これが分かると、人が読めるようになり見方が変わりますよね。
Bのストレス解消法というのは、人の嫌なところが見えたり、自分自身が嫌になった時に下記のように思ってみてはどうか?と思うのです。金に汚い人がいたら、このM氏よりはマシ、と考えるのです。なかなかM氏以上の人のせこい守銭奴はいないはずです。ケチで金に汚い人の嫌さが目についた時、このように思えることができたら人を許す幅が広がるのではないでしょうか?
私はここで「金に対する汚さはMほどではない」というフェーズを私の引き出しに加えます。
ちなみに、過去にあった私の他の引き出しには、「傲慢だが、O氏(政治家)ほどではない」「軸ブレはH氏(政治家)にはかなわない」「無責任さは東北大震災時のS氏(会社社長)よりはまし」の3パターンがあります。
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