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2019年4月 1日 (月)

平成から令和へ

2019年4月1日内閣の決定により、次の時代の元号が「令和」となりました。平成は31年と昭和の約半分の間でしたが、私の人生の中では感慨深いものがあります。私の平成時代のキャリアを雑駁に振り返ることで平成時代を締めてみたい、と思います。

私の平成は、39歳から69歳の31年間でした。平成元年は前年大阪に転勤になり、営業課長に昇格した年でした。右も左もわからない関西で百戦錬磨のデイラーを相手に土日なしで悪戦苦闘した記憶があります。そして任されたのが「大阪花博」。この手のイベントは数々のトラブルがつきもので私はトラブル処理に振り回され、花博終了後はしばらく花博PTSD状態であったと記憶しています。

その後、ラボへの出向を命じられ、ここでも初めての子会社経験とデジタル化への取組という新たな経験をさせてもらいました。業界初の「デジタルイベント」を開催したり、ラボ事業計画を作成したり、新規事業所の立上げを0から担当しました。

そして、本社に戻り、デジタル化事業の最先端部門の営業担当とされ、様々な新規事業を創出いたしました。その中で唯一今残っている事業は「デジカメプリント」です。他の事業は、「早すぎた」ものと「潰された」もののどちらかの道を歩むことになりました。

そうこうしているうちに52歳で大病に見舞われ、計1年ほど会社を休むことになってしまいました。このあたりから転職を真剣に考え始めたのですが、職場復帰後、子会社の社長を命じられるという「青天の霹靂」があり、2年ほど会社経営というものの経験をしました。しかし、その後身体の具合がまた悪くなったのを機会に、社長を辞退させていただき、さらに会社自体も自主退職いたしました。

このように平成は私の会社人生の変節を刻みました。

この間、二人の娘は結婚し、今や4人の孫に恵まれています。家庭は妻がきっちり守ってくれたので、私は後ろを見ることもなくやりたいことに専念することができました。今日の私がこうやっていられるのも妻のおかげです。

昭和→平成→令和 という戦争のない平和な時代に生きていくことができ、私は本当にラッキーだったと思っています。

「令和」はどういう時代になるかわかりませんが、私は社会貢献をしながら「サードライフ」を満喫し人生の締めをしていきたい、と考えております。

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