リオオリンピックの感動
2016年はオリンピックイヤー。連日、日本選手が大活躍し、我々日本国民にとってはうれしい睡眠不足の状態が続きました。
今回はリオのオリンピックをみて私が感動したことをまとめてみようと思います。
まず「最初の感動」は、「日本のオリンピック選手はプレッシャーと闘いメンタルが強い」ということです。日本の選手がどれだけのプレッシャーを背負って戦っているか、優勝候補の選手ほどその重圧は計り知れない、ということがわかりました。立派に銀メダルをとっているのに、「応援してくれた人たちに申し訳ない。」というまるで敗者のようなコメントがすぐに口から出てくるのは、その重圧の凄まじさを表しているのではないでしょうか?最低4年間この精神状態が続くのですから、並みの精神ではメンタルがもたない。また、柔道、卓球、バドミントン、レスリングなどで、今回日本選手の逆転勝ちが目立ちました。日本選手には「Never Give Up」の精神が顕著にみられ、格闘技ではギリギリで仕掛けて逆転した試合が何度もありました。この結果はいままでには見られない傾向です。
「第二の感動」は、「オリンピックは関わってきた人にとって間違いなく人生の転機になる。故に人生を賭ける価値がある。」ということです。オリンピックが終わると、人生が変わったという人が多々います。TVの解説を見ていても、競泳のI選手、体操のM選手などがこのコメントを出していました。「あの時のオリンピックで○○しなかったら、今私はここにいない。」ということです。最も顕著なのは、メダリストになれるかどうか、です。メダルがとれれば、帰国の空港に降りた途端から記者会見が始まり、今までと違った人生が始まります。引退しても、元メダリストとして尊敬され、解説者としての生活も保障されます。逆にメダルを逃した場合は、マスコミは見向きもしません。オリンピック選手という称号はあるものの社会的に優遇されるということはあまりありません。かえって普通のことができないので苦労することが多いでしょう。言わば「転機」がここにあるのです。今回好調な日本選手の中にあって、メダルを逃した選手の口惜しさは察して余りあります。しかし新たな目標として、「4年後のメダル」という新たな目標を得ました。これも「転機」といえます。
「三つめの感動」は「オリンピックの涙」です。
「金の涙」「銀の涙」「銅の涙」、そして「キャプテンの涙」もありました。卓球のF選手が3位決定戦で惜しくも負けた時に「悔し涙」を流し、団体戦で3位に決まった時、それは「うれし涙」に変わったように思いました。絶対優勝候補であった女子レスリングのY選手の敗戦は、背負い続けた責任という重みを感じさせる涙を我々に与えてくれました。オリンピックの涙、それは観戦している我々をもウルウルさせます。映画や本から得られる感動ももちろんありますが、オリンピックの涙は格別な味があります。
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