
2016年は我が家にとって、波乱の幕開けとなりました。
年末から妻の血圧、妻の膝痛が出て、年始は日々その日の調子との闘いのようでした。
そして、クライマックスは、1月4日に来ました。

私の左目の下にできた黒子のようなものが日を追うごとにどんどん大きくなってきたのです。前々日の2日に、義弟がら聞いた「メラノーマで同僚が亡くなった」という話を思い出しました。その時は他人事でしたが、私の黒子は日増しに大きくなり、4日の朝には、遠目からもそれと認識できる大きさに拡大しており、嫌な感じになっていました。

まずは近所の皮膚科の看板も掲げている主治医の先生のところへ行ってみたのですが、1月4日は休診でした。しかたなく電話で先生を呼び出し症状を訴えました。結果は「皮膚科の専門医のところへ行った方がいい」というアドバイスでした。しかたなく主治医に聞いた3件の皮膚科病院に電話してみましたがいずれも休みでした。日々細胞が成長しているようなので、もしメラノーマ等の悪性腫瘍だったら、1日の遅れが命取りになることもあります。こんな日に発症したこと、対応できる病院がないことから、瞬間いよいよツキに見放されたのかな?と絶望感が私を襲いました。

そんなときに、妻の一言「Y病院が開いているようです。」。紹介状がないと余計な金がかかるとのことですが、そんなことは問題ではありません。藁をもつかむ気持ちで、早速Y病院に直行しました。

診察までに私が考えていたことは、「すべて無にする。」ということでした。学校もNPOも勉強会もバンドも妻との旅行も釣りもすべて飛びました。もうどうでもいい、という感覚です。「死」に向き合っていました。大病した12年前と略同じ感覚でした。ひとつだけ違うのは、家族に対する責任がすでにクリアさfれているので前より少しは気楽さがあったように思います。

しかし、死に向き合うのは苦しい。1月は5日から13日まで毎日大事な予定が入っており、4日に検査に出してもそのあと10日間黒子が大きくなるのを余儀なくされるのでは?と思ったり、9日間こんな想いを続けていたら鬱病になると思ってしまいました。病院へいくのに、帽子を忘れたり、朝飯は食べれなかったという状況が私の狼狽ぶりを表しています。

さて、Y病院の診察にあたってくれた先生は、40前後の若い先生でしたが、10分ほど状況確認を行い、組織の断片をとり、拡大顕微鏡?で、じっくり診察してくれました。そして先生の結論は「メラノーマではない。黒子の上にウイルスが付着、増殖している。病名は2つ。」ときっちりと説明してくれました。2つの病名は聞いたのですが、最悪の事態を免れた嬉しさで忘れてしまいました。そして。液果窒素ガスで患部を凍結させる治療を受けました。
というわけで、展開次第では致命的な世界に入る寸前であったにも拘わらず、まだまだ私には運がある、ということだと思います。


それよりも何よりも今回の経験は正しく「災い転じて福となす」ではなかったでしょうか?
近所の専門医が休みだったからこそ最短距離で処置できたのだと思います。
ようやく普通の生活になりました。これが最高の幸せです!
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