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2014年3月26日 (水)

正解は一つではない

よく「真実は一つしかない。」と言われますが、正解も一つしかないのでしょうか?

答えは、否です。

最近のクリミア半島のロシアの動き、以前からひきづっているものに、中国との尖閣列島、韓国との竹島問題があります。互いの主張が真っ向から対立し超持久戦の様相を呈しています。いずれも利害関係が生じており、自国の主張が正しいと双方譲りません。

どちらが正しいかを追及すると議論は並行線となり落とし所の探索までには至りません。私達は幼少の頃から、問題に対して正解を出す、探すという教育を受けてきました。ですから、自国の主張に違和感はないはずです。これは同様に教育されてきた他国の人も同じです。

 

身近な例で考えてみましょう。この冬、インフルエンザが流行りました。私の周りは患者だらけなので、風邪気味で症状が似ている私は検査を受けにかかりつけの医師のもとへ。そこで医師から「熱が出てなければ検査しても陰性になる。普通に生活していて何も問題無い。」と言われました。同様のケースで悩んでいる人がいるだろうと思い、この出来事をFacebookに発表しました。するとすぐに反応が2つありました。1つは、「熱の出ないインフルBがあります。」。もう1つは「私の知っているクリニックでは熱が出なくても検査はしてくれましたよ。」というものです。私は知らない人に教えてあげようと情報発信したのですが、逆にものの見方が一面的であったことを思い知らされました。そこには正解を見つけたと思いこんだ私に対して、正解は1つじゃないと教えてくれた友がいたというわけです。

この傾向は学生において顕著です。何かひとつ課題を出すと、必ず正解探しがはじまります。「現在の我が国で最も大切なものは何か?」。このような問いに対して、正解を探そうとします。偏差値教育の弊害です。正解が多数あるとわかっていれば、自分の持論を展開できるのですが、正解探しをしてみつからないとただうろたえるだけです。ここにいちはやく気づいた学生は就活に成功します。

インフルエンザや学生の就活という足元の身近な問題であれ、国家という大きな問題であれ、本質は変わりません。「正解は1つではない」という発想が根本にあれば、相手の言葉に耳を傾けるはずです。人対人のコミュニケーションでは、相手が自分を受け容れてくれれば、自分も相手を受け容れようとするでしょう。国対国の対話も同様ではないでしょうか?国益を守るという使命、人心を束ねるために共通の敵をつくるという政治的な背景などが障害となるのでしょうが「まずは話を聞こうじゃないか。」と相手を受け容れる構えを互いにみせることが、国の外交においても必要なのではないでしょうか?そして言いたいことを言いあって、持ち帰って、反芻してみる。結論を急がず、何回か時間をかけて話合いを繰り返す。そんな「聴く姿勢」を、当事者は勉強し直し、今こそ原点に戻るべきではないでしょうか?



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