« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月

2014年2月27日 (木)

悲しい出来事

世の中いいことばかりではありません。悲しい出来事は何の前触れもなくやってきます。

2月の中旬に1通のハガキが届きました。私の大変お世話になった恩人の逝去の報でした。年賀欠礼という形で、息子さんが出したように思われました。そこには、氏が長い闘病生活の最中、看病していた奥様が11月中旬に急死し、本人は12月31日に後を追うように亡くなったという信じられない話が書いてありました。

今年は年賀状が来ていなかったのですが、まさかこんなことになっているとは夢にも思いませんでした。さっそく自宅へ連絡を入れてみたのですが留守番電話で通じません。ハガキが来てから3日間朝昼晩と電話してみたのですが全くつながりませんでした。どうやら、自宅は空き家になっている様子です。

氏は大学の先輩でもあり、私たち夫婦が殊の外、お世話になりました。自宅にも夫婦で遊びに伺いました。私たちの結婚当初は夫妻の見本にしていました。
お子様は3人いたと記憶しておりますが、いずれも独立されたのでしょう。
その後、FAXを入れ手紙を出し、一度お悔やみを、と申し入れていますが、2週間たっても連絡がありません。お子様の連絡先もわかりません。

氏は、Wikipediaをひくと「農業マーケテイングの第一人者」として記載されており、民間会社からスタートし、最後は、大学の教授でした。10冊以上の著書があり、豪放磊落で、私のもっとも尊敬する人です。私のスピーチやプレゼンテーションは彼の影響を明らかに受けています。氏が主宰していたマーケテイングの学会では頼まれて2度ほど小論文の発表をさせてもらいました。

生前どんなにがんばっても人の最後とはこのようなものなのでしょうか?
納得できない気分が続いています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月12日 (水)

地力と実力の違い

冬季オリンピックが開かれていますが、残念ながら日本勢は今一つ目論見のような結果が出せていません。目論見と結果が著しく乖離したとき、どのように考えたら、「気持ちを開放し前に進むことができるのか?」これは大きなテーマです。

先日、私は某国家試験を受験し、失敗しました。筆記試験と実技試験の両方、規定以上の得点をとらないと合格にならない試験ですが、実技試験で沈没しました。

筆記試験がうまくいき、久々の実技試験に胸をわくわくさせて当日は臨みました。体調は万全で最高の状態でしたが、落とし穴がありました。事前練習で確認していたにもかかわらず、ケアレスミスを連発し、自滅しました。本番で当たり前のことができなかったということです。

私の場合は、試験に失敗したからといって、生活に変化はありません。誰かに迷惑をかけるわけでもないし、一部の人たちの期待に答えられなかったという自分の不甲斐なさが残った程度で済みます。まして、来年チャンスはまたあります。ところがオリンピックの選手はそうはいかない。次は4年後です。すべての生活や遊びを犠牲にし、4年に1回、短時間の競技にかける、そしてうまくいかなかったら、と選手の心中を察すると、胸が締めつけられる想いです。

このような最近の私自身の経験とオリンピックの観戦から下記の考え方が生まれました。

悪い結果が出たら、酷のようですが「これが実力」と思うようにしたら、どうでしょう?自分に責任があるという「自責」の概念です。
 
ケアレスミスが出る、変化に対応できない、周りの方が役者が上だった、ツキがない、採点の不平等など、これらを最高の場面で総合して出た結果が「実力」と解釈するのです。すると、次に打つ手が明確になります。前述の例では、用意周到力の養成、変化対応力のアップ、他流試合や外部調査、ツキをよぶ方法などが対策となります。

一方、実力の大きな部分を占めるのが、「地力」です。潜在的に持っている能力のすべてを表します。地力がうまく発揮できたときに、それが実力として表に出るという考え方です。

偏差値と地頭、IQとEQという概念に似ています。どうしたら、地力を発揮できるか、この一点に集中して、「これが実力」という大きな舞台に立ち向かっていければいい。

物事に挑戦し結果が思わしくない時、人は様々な反応を見せます。敗因の分析をする者、悔しがる者、愚痴や言い訳を言い続ける者、落胆し停滞してしまう者、あっさりあきらめてしまう者、忘れてしまう者など、人それぞれです。しかし、最も大事なことは、終わってしまったことは素直に受け容れ、次に前に進むことができるかどうかです。そんなときに「地力と実力の違い」を明確にする、という考え方は有効に機能すると思うのですが、如何でしょう?

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 7日 (金)

撃墜された

世の中が大学の受験で騒がしい頃、私は「1級CC技能士検定」という国家試験のうちの実技試験を受けてきました。場所は懐かしい渋谷の「フォーラム8」で、駅から行く途中に関西大学の入試試験会場を通りました。

結果から先に言いますと、試験は散々の出来でした。よくもこんな無様なロープレをしたもんだ、と自分自身の不甲斐なさにまいっています。実は敗因ははっきりしています。大きく2つありますが、どちらも私らしいケアレスミスです。1つめのミスは、ロールプレイの相手からカウンセリングの経過書きを見せられるのですが、それを全く無視して進めてしまったことです。折角、用意してきたのに、全く顧みられなければ、信頼関係がうまく構築できるわけがありません。この辺りは頭の片隅にはあったのですが、本番ではとんでしまいました。2つめのミスは、時間配分です。練習で時間が余ったので、じっくりやっていけば丁度いい、と思っていたのですが、時間内に締めることができませんでした。というより、完全に時計の読み違いというミスを犯していました。始めと終わりが悪いのですから、中は推して知るべしです。良い緊張感が久々に味わえると喜んでいったのですが、想い以上に緊張していたということでしょう。であればこれが実力です。

完膚無きままに撃墜されて帰ってきました。妻をはじめ応援してくれた仲間や知人に対しては期待外れで申し訳ない、の気持ちで一杯です。ただ、毎年チャンスはあるわけだし、敗因は是正できるし、だれかが迷惑するわけではないので、1年間の出直しを誓いました。幸い、筆記試験の方は、合格点に達していると思われるので、1年間かけて実技試験の課題を達成してみせます。

この程度のテストでも撃墜されると悔しいのですから、オリンピックの本番で力の出せなかった選手の心境は察してあまりあります。4年間すべてを犠牲にして、本番の短い時間にかけるのですから・・・。まして、現地で怪我などで出場できなくなった選手の胸中は筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。

私は実はこの手のケアレスミスを過去何回も犯してきました。今回は体調も良く万全を期したつもりでしたが、やはり悪い癖がでそうな落とし穴がありました。2級の試験では老眼鏡を忘れ字が全く見えないまま消しゴムを使い論述試験で落ちました。受かったのは2回目です。コーチングのテストでは、何回もかかせる受験番号のうちのいくつかを間違えて雑に書いて出してしまいました。受かったのは3回目です。CC講座のトレーナー試験では、持ってきたボールペンの字が太すぎて結局何を書いたかわからないものをそのまま提出してしまいました。同期の仲間は皆合格しているのに私だけが条件付き合格でした。

というわけで、今回も落ちるべくして落ちたのでしょう。しかし、私には、「楽天的な気分転換」の方法が多々あります。今回は試験終了後、お茶の水から横浜に移動し、前から欲しかったベースギターを大枚をはたいて購入しました。ビートルズのポールマッカートニーの愛用していたヘフナー製(ドイツ)のバイオリンベースーキャバーンタイプです。
さらに、応援してくれた数人の知己に結果をオープンにしました。これは私がよく使う手でカタルシス効果で結構すっきりします。
人生こんなことの繰り返しですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »