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2013年6月13日 (木)

ウソはダメ

スポーツ界で不祥事が続いていますが、今度はプロ野球でおきました。公式ゲームで使う「統一球」が前年と違う「飛距離の出る球」を使用していたことが、この時期になって判明しました。昨年同月と比べて本塁打の数が著しくアップしていることから、判明したようですが、当初、関係者は「それはない」と口を揃えて否定していました。しかし、調査が進むにつれて、スポーツ用品メーカーにまで、昨年と変わっていないと口裏を合わせるように圧力をかけていたということが発覚。これすなわち、「ウソ」です。それも確信犯的なウソです。プレイしている選手は概ね気が付いていたようで、それが発覚の導火線になったようです。

この話を聞いて、あるコメンテータが発した第一声「ウソはダメ」という言葉が印象に残りました。日本野球機構(NPB)の最高責任者であるコミッショナーが、「知らなかった。でも私は不祥事とは思っていない。辞任はしない。」という発言が火に油を注ぎ、波紋がどんどん大きくなりエスカレートしそうです。

私は、信頼感という人にとって大事なものを奪ってしまう恐ろしい行為が「ウソ」だと思っています。「ウソをつく」のは、3つのデメリットがあります。1つめは、発覚した時に受ける社会的な制裁が非常に大きいということ。長年かけて築き上げてきた信用は、ウソの発覚で一瞬にして水泡に帰します。履歴書の詐称等の書類記入の際の「ウソ」、公の席上における事なかれ体質による「ウソ」などは、確信犯的であり致命傷となります。1回や2回うまくいってもどこかで露呈します。社会で信用を得る、社会に認められるのは、人として最も大切なことなので、事は重大です。2つめは、前に進むエネルギーが減殺されること。「ウソ」をつくと、だれにどう言ったか、引き出しの整理をしておかないと、辻褄が合わなくなったり、思いもかけぬところで馬脚を表してしまうことがあるので、ここに神経を集中せざるをえなくなります。すると、その分、前向きのエネルギーにブレーキをかけることになります。その上、ウソの上塗りをすると益々被害甚大になります。3つめは、「ウソ」をついている自分に対して、自問自答する自分がいるということです。そこには、「なぜ、ウソをついてしまったのか?」「ウソをつく自分の正体は何なのか?」「後悔?」などの感情や想いが交錯し、苦しみ悩む場面があります。コンプレックスやねたみなどが原因で、他人によく思われたい、認められたいという願望が行為となって現れたと考えられます。虚言癖までいけばそうではなくなりそうですが、それはそれで、病気という意味で深刻です。

「私はウソをついたことはありません。」という笑い話や「ウソつきは泥棒のはじまり」という諺がありますが、基本的に「ウソはつかない」という生き方がシンプルで楽な生き方だと私は思います。NPBや福島原発の対応は確信犯的な「ウソ」なので、国民の共感が得られないのです。唯一、救われるのは、単発的な「ウソも方便」というケースです。皆がそれで、WINの気分になるのなら、ウソも悪くないです。

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