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2013年6月

2013年6月29日 (土)

京都

孫の「お食い初め」の儀式のため、婿殿の実家のある京都へ女房殿と行ってきました。2泊3日で、宿泊は、以前常宿としていた二条城の傍のホテルにとりました。2年ぶりの関西行きですが、天気は梅雨と台風の狭間にありながら、もっとも動きやすい「曇り」だったため、終始ウキウキ気分で楽しむことができました。私の雨男はもう返上ということでいいのではないでしょうか?

1日目は、犬をあずけてから出発。京都着は、PM2:00頃でした。二条城傍のパワースポット「神泉苑」をまずは訪れ、続いて「晴明神社」へ。「陰陽師」の映画は見ていたので、清明神社は興味深く、そこで御朱印帳とお守りを購入しました。そこから、タクシーで大好きな「金閣寺」へ。そして、「竜安寺」「仁和寺」と飛び回り、夕方は「錦」の市場周辺を探索。夕食は錦周辺の居酒屋ですませました。

2日目は、「お食い初め」の当日。近鉄に乗って、「祝園」で下車。婿殿の実家へ。廻りは水田だらけで、ほぼ360度パノラマ状態でした。近所の親しい親戚2軒に挨拶をさせてもらいましたが、これがなかなかのサプライズでした。家の中に文化の香りがぷんぷんしていました。置物(鉄砲と熊手には驚く)、手芸、書、絵画など、私の憧れが眼につきました。そして、駅の近くで懐石料理。結果的には御馳走になり、婿殿のご両親のご厚意にすっかり甘えてしまいました。孫の100万ドルの笑顔とご両親に、感謝!感謝!大感謝!
この日はフリーになったのが4時ごろでした。東寺と東本願寺を参詣し、夜は久しぶりに祇園の「ケントス」へ行ってみました。しかし、バンドが下手で聞くに堪えないので、2ステージで帰ってきました。

3日目は、張り切って、朝7時半にはホテルを出て、京都駅でモーニングサービスで朝食をとり、「東福寺」へ。ここからはすべてはじめていく場所です。広い。とにかく広い。なるほど、紅葉の時に来たら最高に綺麗であろうことは容易に想像できました。そこから、徒歩で「伏見稲荷」に。ここも凄い。鳥居の山登りは言うまでもなくパスしました。そこから、「醍醐寺」へ。ここも広い。交通手段ははじめて地下鉄を利用しましたが、ここまででタイムアウトとなりました。

この3日間で感じたこと。その1は、昔の記憶が全く当てにならないということ。私は20年ほど前、京都で2年間営業の仕事をしていたので、京都には精通しているつもりでしたが、忘れていることが多く全く役に立ちませんでした。その2は、京都にはいろいろな顔があるということ。田園、野菜畑、神社・仏閣、名所旧跡、市場、繁華街等々、時間さえあれば飽きない空間が点在していることがすごい。その3は、京都見物は、バスがいい、ということ。1日乗り放題で、500円というのを利用し、縦横無尽に行動すべきです。私はそれに気づかず、タクシー移動をメインとしたので、随分と京都の経済に貢献してしまいました。さらに言うなら、自転車を使うのがもっといいかもしれません。

以上、雑駁にまとめてみましたが、何回も行く価値があるのが京都です。1つだけ残念だったのは、昔常連となっていた「キャバーン・クラブ」がなくなっていたことです。

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2013年6月22日 (土)

いじめ防止法

「いじめ防止対策推進法」という法律が可決されました。内容を確認してみて、これは意義のある、実効性が伴う法律だと期待しています。

大学の授業をやってみて、最近特に気になるのが、「学生のメンタル不全」です。授業運営上もっとも悩ましいのが「学生のメンタル不全」です。。コミュニケーションがとれないというのは共通ですが、自ら壁をつくり他人を寄せ付けない、不自然で威嚇的、自分の思い通りにならなかったらきれる等、人によってそれは様々な形で現れます。すでに心療内科に通院していて事前に病名を言ってくれる学生も各クラスで1人程度の割合で存在します。総じて、50人に1人以上の割合でメンタル不全があるというのが私の印象です。

その主たる原因が、「いじめ」なのです。2年前は学内でカウンセリングも担当していたので、1対1の話ができ、学生本人に確認できました。皆、口を揃えて、「いじめにあった。それが原因。」と言っていました。今は、授業とカウンセリングの担当が分離してしまったのではそれは叶いません。しかし、動作、言葉、文字などで、今はすぐにメンタル不全を見抜くことができます。そして、確認してみると、ほぼ100%の確率で、みな「いじめ」にあっていることがわかりました。

メンタル不全をかかえている学生は懸命にそれを克服し社会に順応しよう、と涙ぐましい努力をしています。しかし、なかなか結果を出すのは難しい。私のキャリア授業にはそんな想いで参加してくる学生がいるわけで、なんとか高い確率でその克服に寄与してやりたいのですが、実際はそう甘くはありません。このまま、卒業すると、「社会にまだ順応できない」と思う段階で送り出すことが多いのです。また、就活に成功すれば結果が出たと喜んでいいと思いますが、なかなかそうは問屋が卸してくれません。

「いじめ」の罪は重い。いじめた方は、社会に出る頃にはそんなことは忘れてしまい、1人前の社会人として生きていけます。一方、いじめられた方は一生その心の傷を抱えて生きていくのです。これは重い。そこには、自己肯定感も客観性もありません。

学校の先生は忙しいのはわかりますが、いじめ問題があれば最優先に取り組むという仕組みが必要ではないでしょうか?親も最大の関心をもって、「いじめ」に敏感になるべきです。自分の子が加害者か、という観点も重要です。
日本の国力が衰退しているのは、「いじめの後遺症」ではないか、と思うぐらい、この問題は深刻です。かような想いから「いじめ防止対策推進法」の実効に期待しています。

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2013年6月13日 (木)

ウソはダメ

スポーツ界で不祥事が続いていますが、今度はプロ野球でおきました。公式ゲームで使う「統一球」が前年と違う「飛距離の出る球」を使用していたことが、この時期になって判明しました。昨年同月と比べて本塁打の数が著しくアップしていることから、判明したようですが、当初、関係者は「それはない」と口を揃えて否定していました。しかし、調査が進むにつれて、スポーツ用品メーカーにまで、昨年と変わっていないと口裏を合わせるように圧力をかけていたということが発覚。これすなわち、「ウソ」です。それも確信犯的なウソです。プレイしている選手は概ね気が付いていたようで、それが発覚の導火線になったようです。

この話を聞いて、あるコメンテータが発した第一声「ウソはダメ」という言葉が印象に残りました。日本野球機構(NPB)の最高責任者であるコミッショナーが、「知らなかった。でも私は不祥事とは思っていない。辞任はしない。」という発言が火に油を注ぎ、波紋がどんどん大きくなりエスカレートしそうです。

私は、信頼感という人にとって大事なものを奪ってしまう恐ろしい行為が「ウソ」だと思っています。「ウソをつく」のは、3つのデメリットがあります。1つめは、発覚した時に受ける社会的な制裁が非常に大きいということ。長年かけて築き上げてきた信用は、ウソの発覚で一瞬にして水泡に帰します。履歴書の詐称等の書類記入の際の「ウソ」、公の席上における事なかれ体質による「ウソ」などは、確信犯的であり致命傷となります。1回や2回うまくいってもどこかで露呈します。社会で信用を得る、社会に認められるのは、人として最も大切なことなので、事は重大です。2つめは、前に進むエネルギーが減殺されること。「ウソ」をつくと、だれにどう言ったか、引き出しの整理をしておかないと、辻褄が合わなくなったり、思いもかけぬところで馬脚を表してしまうことがあるので、ここに神経を集中せざるをえなくなります。すると、その分、前向きのエネルギーにブレーキをかけることになります。その上、ウソの上塗りをすると益々被害甚大になります。3つめは、「ウソ」をついている自分に対して、自問自答する自分がいるということです。そこには、「なぜ、ウソをついてしまったのか?」「ウソをつく自分の正体は何なのか?」「後悔?」などの感情や想いが交錯し、苦しみ悩む場面があります。コンプレックスやねたみなどが原因で、他人によく思われたい、認められたいという願望が行為となって現れたと考えられます。虚言癖までいけばそうではなくなりそうですが、それはそれで、病気という意味で深刻です。

「私はウソをついたことはありません。」という笑い話や「ウソつきは泥棒のはじまり」という諺がありますが、基本的に「ウソはつかない」という生き方がシンプルで楽な生き方だと私は思います。NPBや福島原発の対応は確信犯的な「ウソ」なので、国民の共感が得られないのです。唯一、救われるのは、単発的な「ウソも方便」というケースです。皆がそれで、WINの気分になるのなら、ウソも悪くないです。

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2013年6月 4日 (火)

華の職場

どこの会社にも、「華の職場」と呼ばれる職場があります。私が在籍していたF社のT販売部がそれに該当します。先日、そのOBの飲み会が、某ホテルで行われました。12年間のスパンで在籍していた人のうち、89名?が参加するという盛況ぶりでした。3年ぶりでしたが、久々に会う人それぞれが個性的で、自己肯定感の高い人が多く、「華の職場」と言われた頃の「自由と責任のプロの販売集団」という気分を彷彿させました。私は様々な団体や組織に属してきましたが、T販売部の華やかさは類を見ません。当時のF社の屋台骨を支えていたという事実と当時のマネジャーのレベルの高さが源となり、それを部員各自がそれぞれの役割を果たしていたという理想的な組織でした。今や、F社にT販売部はありませんが、飲み会にこれだけの人が集まってくるのは皆そういう想いがあるからでしょう。

この会合で改めて気付いたことが2つあります。1つは、私と凌ぎをけずっていた先輩マネジャーの何人かと話してみて、彼らが私を認めていてくれた、という確認です。これは最大の収穫でした。現役時代よく彼らとぶつかったのですが、「余計なことを言わずに任せておけば、必ずやりとげる男」だとか、「いろいろな人と会ってきたけど、君は最高のナイスガイ」「ラボに出向してからの活躍は出色」という賛辞をいただきました。還暦を過ぎると、本音でお互い話ができると思っていましたが、気になっていた先輩マネジャーからこのような話を聞き、嬉しくなって、ついつい酒量が増えてしまいました。
一方、私が苦手にしている昔の上司もいました。なぜか、その人に会うと、緊張して普段の自分が出ないようです。早くその場から逃がれたい、昔よく味わった気分が去来しました。「上から目線」?私がそう思いこんでいるのかもしれませんが、会話は長続きしませんでした。

昔よくカラオケなどで遊んだ女性軍と会えたのも良かったですが、昔の会社の会は、私にとっては、功罪相半ばするようです。よく考えてみると、「お山の大将」でいられる会は楽しく、そういう会が私の周りにはたくさんあるということに気がつきました。同時に、昔は決して気持ちよく仕事をしていたわけではない、ということを想い出しました。気持ちのいい会にだけ出ているようではいけませんね。まだまだ、課題山積です。

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