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2013年3月 8日 (金)

「生」の感動

生命が生まれる感動をこの年になってはじめて目の当たりにしました。娘の初出産に際し、今回はじめてプロセスから誕生まで間近でみることができました。

私は予定を計画通りにこなしていましたが、内心ではいつ生まれてもOK、と臨戦態勢をしいていました。予定日を10日オーバーし、入院となった時、大丈夫かな、と訳のわからない心配をしていました。前日からの食事制限、薬投与など、病院の現場にいってみると、それはそれは厳しいものでした。そしてついにその瞬間がやってきました。3400グラム強の男子がこの世に生を受けました。分娩室の現場に案内された瞬間、そこには壮絶なドラマがあったであろうことが容易に想像できました。五体満足の生まれたばかりの可愛い孫の傍で、真っ白な顔や手をした娘の姿がありました。相当大量の出血があったという状態がそこにはありました。にもかかわらず、娘の顔は神々しく輝いていました。私は、ああ、これが「生」の誕生の瞬間なのだ、と新鮮な感動を覚えずにはいられませんでした。

とともに、私がいままで、女性の妊娠について理解不足だったということに気付きました。妻の出産のときは、ごく順調と思い、私自身全くの能天気でした。以来、出産はうまくいくものと軽く考えていた気がします。先に出産した次女のときは、陣痛がきてから3日間出てこないという状況に右往左往しましたが、会社に出勤しながらでしたので日々の詳細については能天気でした。今にして思うと、病院から絶対安静と言われ危険な状況にあったということがあらためて分りました。要は、楽な出産などない。女性は、皆それぞれ与えられた状況をきっちり受け容れて、それぞれのベストチョイスを取り入れ、出産にこぎつけているということがよくわかりました。男には到底わからない世界です。女性は偉大、素晴らしいです。私は心から女性という異性はすごい、母は強い、と敬意を表します。

もうひとつの感動は、当日娘に付き添ってくれた婿殿です。私など、その場にいたくない、みたくないとして、逃げてしまいそうですが、きっちりと正面で受け止め、立会い、夜も娘に寄り添ってくれました。病院側の体制にもよりますが、こういう夫のサポートがどれだけ妊婦に有効なのかは、現場にいてよくわかりました。夫婦というのはこういう時に支え合うのだ、という想いを強くしました。この部分でも私は失格です。妻に対して申し訳なかったという気持ちでいっぱいになりました。

そんな大きな感動を創造しながら新しい家族の生活がはじまります。今度の孫の誕生日は平成25年36日、私の誕生日は昭和2534日です。

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