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2013年3月

2013年3月26日 (火)

知人の死

還暦を越えると、同じ空間を過ごしてきた人が突然亡くなるということがしばしばあります。産業カウンセラーの同級生で私より3歳年上のH氏が亡くなっていたのがひょんなきっかけから判明しました。彼からは、特に音信もなく飲み会にも出席していなかったため、年末の喪中はがきで一部の人だけが亡くなったことを知っていたというのが調べてみてわかりました。

彼は私たちの仲間内ではリーダー格で、カウンセリングのテストのための勉強会では皆を引っ張ってくれた尊敬すべき先輩でした。M商社系の会社社長の経験があり、サラリーマンとしては人をも羨む経歴の持ち主でした。趣味のゴルフには生前もよく行っていたようです。
それが昨年の5月に末期のすい臓がんで亡くなっていたというのです。知らなかったことも含めて、大ショックでした。机を並べて学んだ仲間が亡くなったのですから・・・。彼はクリスチャンなのでカトリック教会の共同墓地に埋葬されたそうです。4月に心ある仲間と墓地に行ってみる予定です。

人の命は、はかないときははかないものです。しぶとくなかなか土俵を割らない命もあれば、さっと花のように一瞬にして散ってしまう命もあります。仏教用語でいう「生老病死」という言葉を知人が亡くなるたびにかみしめています。
最近では、F社の理系の同期生もガンで亡くなりました。年末の喪中はがきには毎年びくびくです。必ず2~3人亡くなる人がいます。80歳以上のご老人に混じって、同じ年近辺の知人がときどきいるのです。年寄は皆このようなプロセスを経験するのでしょうが、私もその意味ではイヤナ年齢になったものです。

私は会社の親友、取引先の友人という人生上大事な友を2人40代で亡くしました。母は56歳で亡くなりました。健康で生きていられる。私はただそれだけで幸せを感じる今日この頃です。
最近腹が立ったり凹んだりハラハラしたりしますが、死というものを感じた時「すべては些事。」と思い、受け容れることができます。

Hさんに心から哀悼の意を表します。安らかに。

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2013年3月18日 (月)

2日間で4つの勉強会はしご

土日の2日間で、4つの勉強会に顔を出しました。その気になったときに、集中的に参加しる例の癖が出ている感じです。3月は大学が春休みで時間に余裕があること、そして各種の資格が更新時期にきているために単位をとる必要があることの2つが理由としてあげられます。

土曜日は、朝10時に川崎へ。コーチングの「パーソナル・ファウンデーション」のセミナー&ワークです。3年ぶりのコーチングの集まりでした。講師は、私の敬愛するMコーチの師匠のKコーチ。この分野の第一人者であり、私は孫弟子ということになります。5回シリーズの1回目ですが、とにかく楽しかった。私より若い人ばかりでしたが、久しぶりに承認のシャワーをいやというほど浴びました。黄色の派手なトレーナーだけでも目立つのに、個人的なフィードバックや発表などは余裕を持って行い、ロープレは久々に「芸術的」「模範的」な上々の出来で満足のいくものだったからです。今年はこの会合にもう少し頻度をあげて参加してみようと思います。
セミナー後の懇親会は棄権して、夕方はCC8の会合で横浜へ。久々に、中国から帰ってきたA社経営幹部であるO氏の中国談話を1時間半傾聴させていただきました。彼とは、3年半ぶりぐらいになるでしょう。4年前にA社で、2回コミュニケーションの研修をやらせてもらったのがいい想い出になっています。そして恒例の飲み会に。

翌日の日曜日は、S協会の「マインドフルネス」のセミナーで、午前9時開始。この「マインドフルネス」は興味本位で聴きに行ったのですが、ヨガ、座禅、仏教、ラマ教、バラモン教などが併存しており、かなり危ない感じがいい。「あるがままの状態をあるがままに認める」というコンセプトが肝になると私は解釈しましたが、もしかすると、嵌るかもしれません。もっと実習をしてほしかったというのが偽らざるところです。
午前中にこのセミナーをこなし、午後2時から竹橋へ。そこは月1回のチームMJの定例会が行われていました。日本のデザインの大御所T氏の本の輪読で所定の時間は使い切ってしまいました。他のメニューも用意していたのですが、繰越となりました。4月は森鴎外や正岡子規を追って文京区を探索しようという企画が待っています。この勉強会は大きなコンセプトは掲げていないので、烏合の衆の集団で目的がない、と批評する人もいますが、そこが味噌で、私にとっては一番ほっとする癒しの勉強会です。

こんな感じで2日で4つの勉強会をこなしましたが、途中で「BAD NEWS」が飛び込んできました。産業カウンセラーグループの大事な仲間の訃報です。元気だったのに。早すぎる。ショックです。信じがたいのですが事実のようです。これから、彼から受けた恩に対しての礼を尽くすことに全力を注ぎます。

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2013年3月11日 (月)

「線レベル」の理解

3月11日で、東北大震災から丸2年経過しました。そこで、2つの質問です。

「地震の時、あなたは何をしていましたか?地震の後、どういう行動をとりましたか?」。これが1つ目の質問です。この質問に対しては、ほとんどの人は、すさまじいあの瞬間を想い出すことでしょう?
私は、新宿のT大で3限の授業が終わった直後に被災しました。揺れが長く続き、波乗りをしているような感じで、3階から階段を下りて外に出てみると、新宿の高層ビルが右に左に揺れているという前代未聞の光景を目の当たりに見ました。ここで死ぬのかという恐怖に襲われながら新宿公園まで逃げて助かった気になりました。そして次に待っていたのは、「帰宅難民」でした。深夜2時にようやく自宅にたどり着いたのですが、そこで大津波の映像を見ました。更に、追い打ちをかけるように、あの原発問題が起きたのです。という私のケースと同じように、皆さまそれぞれ、当日の怖い体験が蘇ってくるのではないでしょうか?

そこで、2つ目の質問です。「復興がどれだけ進んでいるのかご存じですか?所轄官庁はどこですか?大臣の名前は?」。こんな質問に貴方はどこまで答えられますか?お恥ずかしいのですが、私自身自問自答したところ、ほとんど答えられない自分がいました。確かに復興がうまくいっていない、というのはニュース報道を見聞きして知っているつもりでいましたが、実は全く分かっていないということに気付きました。分配金、除染、その後の原子炉の状況等々、私の知っているのは、「点レベル」の話です。「点レベル」の認識を「線レベル」と思いこんで、見てきたような批判や評価をしていたのです。これでは、現場の状況を実感できず、右顧左眄していたどこかの司令部と大同小異ですね。

本当のことを「線レベル」で捉えるための努力をしていますか?物事の批判や評価をするのはたやすいのですが、私たちは責任ある人として、意見を言うべき対象に対しては、しっかり自分の足元から見つめ直し基礎を固めておかねばならないと思うのです。そうでなければ、言うことに迫力も説得力もありません。
前述の質問に対しては、「復興庁の担当大臣がどんな人で、東北とどうかかわっているのか?」等、その気になればすぐ調べることができます。最近のITの発展は、短期間に大概の事を調べることを可能にしました。できないのではなく、やらないから「点レベル」以上に抜け出せないのです。
原発に起因するところは、なかなか実効が上がらず、危険な臭いがプンプンしますが、これにモノ申すためにも、国民の一人一人が「線レベル」の理解を目指して、情報収集や知識吸収をしなければならないと改めて思いました。2年目の地震の日に際し、こんな「足で稼いだ情報が大事」という営業の基本を想い出しました。
ちなみに、私は関西大震災も大阪豊中市で経験しています。

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2013年3月 8日 (金)

「生」の感動

生命が生まれる感動をこの年になってはじめて目の当たりにしました。娘の初出産に際し、今回はじめてプロセスから誕生まで間近でみることができました。

私は予定を計画通りにこなしていましたが、内心ではいつ生まれてもOK、と臨戦態勢をしいていました。予定日を10日オーバーし、入院となった時、大丈夫かな、と訳のわからない心配をしていました。前日からの食事制限、薬投与など、病院の現場にいってみると、それはそれは厳しいものでした。そしてついにその瞬間がやってきました。3400グラム強の男子がこの世に生を受けました。分娩室の現場に案内された瞬間、そこには壮絶なドラマがあったであろうことが容易に想像できました。五体満足の生まれたばかりの可愛い孫の傍で、真っ白な顔や手をした娘の姿がありました。相当大量の出血があったという状態がそこにはありました。にもかかわらず、娘の顔は神々しく輝いていました。私は、ああ、これが「生」の誕生の瞬間なのだ、と新鮮な感動を覚えずにはいられませんでした。

とともに、私がいままで、女性の妊娠について理解不足だったということに気付きました。妻の出産のときは、ごく順調と思い、私自身全くの能天気でした。以来、出産はうまくいくものと軽く考えていた気がします。先に出産した次女のときは、陣痛がきてから3日間出てこないという状況に右往左往しましたが、会社に出勤しながらでしたので日々の詳細については能天気でした。今にして思うと、病院から絶対安静と言われ危険な状況にあったということがあらためて分りました。要は、楽な出産などない。女性は、皆それぞれ与えられた状況をきっちり受け容れて、それぞれのベストチョイスを取り入れ、出産にこぎつけているということがよくわかりました。男には到底わからない世界です。女性は偉大、素晴らしいです。私は心から女性という異性はすごい、母は強い、と敬意を表します。

もうひとつの感動は、当日娘に付き添ってくれた婿殿です。私など、その場にいたくない、みたくないとして、逃げてしまいそうですが、きっちりと正面で受け止め、立会い、夜も娘に寄り添ってくれました。病院側の体制にもよりますが、こういう夫のサポートがどれだけ妊婦に有効なのかは、現場にいてよくわかりました。夫婦というのはこういう時に支え合うのだ、という想いを強くしました。この部分でも私は失格です。妻に対して申し訳なかったという気持ちでいっぱいになりました。

そんな大きな感動を創造しながら新しい家族の生活がはじまります。今度の孫の誕生日は平成25年36日、私の誕生日は昭和2534日です。

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2013年3月 3日 (日)

知己の相談

今年に入って、昔の知己から連絡が入り、「相談に乗ってほしい。」というオファーが3件ありました。その人の役に立つかどうかは、その人が判断する問題ですが、「この問題について小倉ならどう考えるのだろう?」と想い出してくれるのは有難いものです。

一人目は、F社の元開発部長O氏です。F社に残って後輩の指導育成に尽力されていたのですが、このたび退職され、この先どうしようかな、というわけです。O氏とは年1~2回会合で会う機会があり、私の中ではO氏の基本的な想いは受け入れているつもりです。出てきたのは「技術を生かした組織を創り、世の中に貢献したい。」というアイデアでした。このアイデアに対し私の意見を聞きたいというのが主旨でした。前向きな話であり、実力のある人ですからやってほしい。成功の確率は高いと思った通りのことを言わせてもらいました。

二人目は、P社のI氏です。私の現役時代のアライアンス先のパートナーです。ナイスガイの彼とはよく飲みに行きました。私より年下なのですが、いよいよこの3月で退職。その後どうしようかな、という話です。ある会社のビジネスに関わっているので、それを続けるのか、リセットするのか、というのが本旨でした。税金と保険等の話がメインであり、再就職の具体的な相談にはなりませんでした。彼は、自立心が高くなかなかの「やり手」なので、自分の好きな人生を自身で切り拓いていくでしょう。

二人とも、還暦を過ぎ、セカンドライフをどうしようか、という岐路に立たされているのですが、前向きでまだギラギラしています。会ってみて瞬間昔に帰っている私がいました。お二人には「さすが」という敬服の念を覚えずにはいられません。

三人目は2月に入ってからですが、昔の部下で40代のU氏からのオファーです。出向先の子会社で見込まれ移籍を迫られているという話でした。F社は2月より、構造改革に入っており、リストラ系の話なら重いと思っていたのですが、そんなシビアな話ではなく、移籍にOKすべきか否か、という話でした。いつもどおり傾聴し、今回はコーチングを使いました。様々な視点や方法を提供したので、後は彼自身が自然に結論を出せばいいでしょう。

オファーを受けると、職業柄、私は緊張して会いに行くのですが、聴いてみると命まで取られる話ではないので、3回ともホットとしています。みなさん、私の知己といえる人たちで、さすが答えを自分で持っていて、整理と確認のために私を使っています。賢いですね。私の廻りには、素晴らしい知己が多数いるということですね。

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