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2013年1月10日 (木)

努力できることが才能である

正月早々、いやなニュースが飛び込んできました。プロ野球の大リーガーで活躍していたM選手の引退というニュースです。とうとう来たかというのと、スポーツ選手の寿命は怪我しだい=無事是名馬、という2つの想いが頭に浮かびました。

M選手には特別な思い入れがあります。私と同郷の石川県の出身で、甲子園の例の試合も一部始終見ていました。石川のS高校と高知のM高校の試合で、全打席敬遠されたという今や伝説となった試合です。当時の私は正義感が強く黒白をはっきりさせないと気が済まない性格丸出しでしたので、M高校の監督に対しては、「卑怯なり。尋常に勝負しろ。」という想いをずーっと持ち続けていました。この監督はいまだにM高校の監督として甲子園に出場してきます。その姿をみているうちに、最近は、「選択肢に敬遠を考え付いたこと自体が非凡。プロ野球の日本シリーズで完全試合を自ら放棄して勝負に徹したO監督に通じるものがあるかもしれない。」と思うようになりました。また、M選手にとっては、「強打者としての一生の勲章」というプラスのレッテルをもらったことは良かったのではないか、と思うのです。

そんな想いで、ニュースを視ていたところ、M選手の父の言葉が彼を支えていたという話が聞こえてきました。「努力できることが才能である」という言葉です。この言葉を聞いた瞬間、すぐに脳裏に浮かんできたのが、私が担当しているT大の多くの学生でした。T大の学生のよくあるパターンは、「私はこれといった強みがありません。いままで、スポーツもサークル活動も勉強もどれも中途半端で人に誇れる、言えるようなことは何もありません。しかし、1つの物事に一生懸命集中し、継続することだけは自信があります。」というものです。大人でも、こういう人は多いのではないでしょうか?そんな人たちに、M選手の父親の言葉「努力できることが才能である」を贈りたいと思うのです。「努力」という言葉は幅が広く個人差がありますが、1つの目標達成に向かってアクションしているのは、「努力している」ということでしょう。

人は、結果を求めます。結果をほしがります。結果が出なかった場合、極々身近にいる人以外は、そこまでの努力という行為は脇に捨て去られることが多い。しかし、M選手の父が言っているのは、努力できることが強みになる、アイデンテテーになる、と言っているのです。よく、結果は自然についてくるというコメントが聞かれますが、「努力」と「結果」は連続的でもあり、連続的でもない。もっと、底流にある礎となるものと私は理解しました。

学生の就活で最も大事なことは、「自己理解」です。自分はどう見えるのか、自分の特徴はなにか、自分はどこに人との違いがあるのかなど、自分を客観的に知ることが「自己理解」です。そして、その中核をなすのが、自分の強みを肯定的に捉える事です。結果を過剰に意識することなく、努力を続けることはそれだけで大いなる才能なのです。

努力を継続することができる貴方は自信をもっていいのです。才能豊かであるが故に「熱しやすく冷めやすい」タイプにとっては、この部分が弱点になることがあります。好奇心をもち、かつ努力を続ける、そんなスタンスが成功の秘訣になるのではないでしょうか?

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