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2013年1月

2013年1月28日 (月)

大学の教師という職業

先週、1月25日をもって、大学の授業が終了いたしました。全部で15回、6クラス受け持っていますから、90コマをこなしたことになります。

これから1月末までは、課題レポートの採点と総合評価に忙殺されます。Webで350人分の成績を正確にインプットする作業は時間と緻密さを必要としなかなかのものです。授業は終了しても、教師の仕事は水面下で続いているというわけです。

しかし、自分で3年間やってみて、大学の教師は恵まれた職業である、とつくづく思います。冬休みは2~3月の約2ヵ月間、夏休みも約2ヵ月間あります。年に4カ月休みがある職業はまずないでしょう。そして、学生間の露骨ないじめなどもありません。なんといっても、在学中に二十歳をこえるわけですから、自由に伴う自己責任という感覚が生まれくるので高校生とは行動の質が違います。活躍できるフィールドが広くなるし、いじめが起きにくい構造になっています。

小学校~高校の先生方と比較すると、大学の教師ははるかに恵まれた環境にいるのではないかと思うのです。私は気楽な非常勤講師の立場なので、それは一方的な見方であると批判を受けそうですが・・・・・。与えられた自由な時間を使って、研究に勤しんだり、論文を書いたりすること自体が「楽しみな時間」という気がするのです。「人材育成」という重要な課題を担っているのは同じですが、小中高大ではそれぞれ力点が異なり、大学は特に変化が顕著なステージであるという気がします。。

昨年のこの時期は、教科書作りとNPOの入札の資料作りに追われ、休んだ気がしませんでしたが、今年の冬休みこそはじっくり骨休めと充電が謳歌できる、と期待しています。

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2013年1月15日 (火)

初雪

成人の日の1月14日、初雪が降りました。初雪というと、風流なイメージがありますが、今年は大雪でした。近くの平塚は積雪なしという情報でしたが、横浜は積雪7センチということで、一晩明けた今朝は一面の雪景色となっていました。

62歳まで人間をやってきて、雪にはどちらかというと「苦い想い出」がいくつかあります。ワースト3をすぐに想い出します。第3位は、15年前の成人式、1998年のことです。当時住まいは大阪で、長女の成人式の日でした。晴れ着を着て写真館で撮影した記憶があります。一生に1回なのに残念、という感情が湧いたことをよく覚えています。
第2位は、33年前にさかのぼります。富士宮で勤務していた頃のある金曜日。夕方から雪が降ってきました。こんな日は、マージャンにかぎるということで、徹マンを敢行。翌日の朝外に出てみると、足がずぶっと入ってしまう大雪。家まで、車で5分程度の距離でしたが、雪をかきわけかきわけ坂道発進を繰り返しながらフラフラになって坂を上がり社宅に到着。途中、事故って停まったままになっている車が多数。なんとか社宅に着くも、進めなくなり、社宅のど真ん中に車を置いたまま帰宅。雪が解けてから車の回収に向かったという経験をしました。
ワースト第1位は、「地獄の行軍」です。池袋で、次女のピアノの発表会があった27年ほど前のある日、演奏が終了してさあ帰ろうという段になって、外は大雪。常用している西部池袋線は、運転制限しており、2つ手前の大泉学園までしかいかない。そこで決めたのは家族4人で駅2つ分自宅まで歩くという選択肢。大泉学園から自宅まで、通常でも30分かかるのに、この日は2時間強の雪の行軍となったのです。積雪は40~50センチぐらいあったでしょうか。足がずぶずぶ雪の中に入って歩くこともままならない悪コンデションの行軍です。私は先導役でしたが、雪で道もわからず、2時間以上かかってようやく家に辿り着きました。これが我が家で言ういわゆる「地獄の行軍」です。当時、次女は幼少であったので、相当厳しかったことでしょう。家について、身体をいくら温めても体温がもどってこないと妻が心配していたことを想い出します。

こんなことを想い出しながら、家庭麻雀に興じ雪見酒を楽しむ私にとっては幸せな1日でした。

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2013年1月13日 (日)

OB

T大に読売ジャイアンツのH監督が来てくれました。2000人の聴衆を前に、サッカーの解説で有名なS氏と共に壇上に上がり、地元の放送局のアナウンサーの司会で軽妙にトークが始まりました。ミーハーの私は昨年からこのイベントには出席しようと手ぐすね引いていました。

当日の私は、1限、2限、4限と1日に3クラス担当する日であり、PM4:40の4限終了後、隣の館内にある大会場に駆けつけました。開始は5時半で、私が着いたのが5時でしたが、すでに会場は8割強、埋まっており、係員に誘導されるまま2階席に着席しました。

遠すぎて、表情などは「点」になっていて、全く窺い知ることはできませんでしたが、その場の空気を会場全体で共有できた感がありました。やはりオーラが全然違います。一言発するだけで、廻りに元気を与える力を感じました。
H氏は、プロ野球デビューの2年目に、神田の寿司屋で偶然見かけたことがあります。当時は新人らしく、爽やかな初々しさが記憶に残っていますが、35年経た今、貫禄さえも感じさせる素晴らしいオーラを発していました。私は「爽やかさ」というよりも「力強さ」を感じましたが、永遠の若大将というニックネームはビッタシです。

興味深い話が続き、1時間半は瞬く間でしたが、「なるほど」と私が思ったコメントを1つ紹介します。「ありがとう」という言葉は、「有難い」と書きます。有ることが難しい、というふうに書きます。思い通りにいかなかったり、トラブルに見舞われたときに、「ありがとう」と思う。有難いこと、例えばトラブルが、この程度の小さなことで良かった、と思うのが、心がけていることだそうです。本当に素直でプラス発想の人ですね。

こんな先輩がいて、気さくに来てくれるT大は素晴らしい。そして、この企画を実施した実施委員会の企画力・行動力に敬意を表します。偉大なOBが歴史をつくり、能ある後輩が道を広げる。こんなサイクルができる大学に入っている学生諸君はその幸せをかみしめてほしい。

報道各社が来ていましたので、どこかで報道されるのでしょうが、翌日の報知新聞には、このイベントは小さく紹介されていました。

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2013年1月10日 (木)

努力できることが才能である

正月早々、いやなニュースが飛び込んできました。プロ野球の大リーガーで活躍していたM選手の引退というニュースです。とうとう来たかというのと、スポーツ選手の寿命は怪我しだい=無事是名馬、という2つの想いが頭に浮かびました。

M選手には特別な思い入れがあります。私と同郷の石川県の出身で、甲子園の例の試合も一部始終見ていました。石川のS高校と高知のM高校の試合で、全打席敬遠されたという今や伝説となった試合です。当時の私は正義感が強く黒白をはっきりさせないと気が済まない性格丸出しでしたので、M高校の監督に対しては、「卑怯なり。尋常に勝負しろ。」という想いをずーっと持ち続けていました。この監督はいまだにM高校の監督として甲子園に出場してきます。その姿をみているうちに、最近は、「選択肢に敬遠を考え付いたこと自体が非凡。プロ野球の日本シリーズで完全試合を自ら放棄して勝負に徹したO監督に通じるものがあるかもしれない。」と思うようになりました。また、M選手にとっては、「強打者としての一生の勲章」というプラスのレッテルをもらったことは良かったのではないか、と思うのです。

そんな想いで、ニュースを視ていたところ、M選手の父の言葉が彼を支えていたという話が聞こえてきました。「努力できることが才能である」という言葉です。この言葉を聞いた瞬間、すぐに脳裏に浮かんできたのが、私が担当しているT大の多くの学生でした。T大の学生のよくあるパターンは、「私はこれといった強みがありません。いままで、スポーツもサークル活動も勉強もどれも中途半端で人に誇れる、言えるようなことは何もありません。しかし、1つの物事に一生懸命集中し、継続することだけは自信があります。」というものです。大人でも、こういう人は多いのではないでしょうか?そんな人たちに、M選手の父親の言葉「努力できることが才能である」を贈りたいと思うのです。「努力」という言葉は幅が広く個人差がありますが、1つの目標達成に向かってアクションしているのは、「努力している」ということでしょう。

人は、結果を求めます。結果をほしがります。結果が出なかった場合、極々身近にいる人以外は、そこまでの努力という行為は脇に捨て去られることが多い。しかし、M選手の父が言っているのは、努力できることが強みになる、アイデンテテーになる、と言っているのです。よく、結果は自然についてくるというコメントが聞かれますが、「努力」と「結果」は連続的でもあり、連続的でもない。もっと、底流にある礎となるものと私は理解しました。

学生の就活で最も大事なことは、「自己理解」です。自分はどう見えるのか、自分の特徴はなにか、自分はどこに人との違いがあるのかなど、自分を客観的に知ることが「自己理解」です。そして、その中核をなすのが、自分の強みを肯定的に捉える事です。結果を過剰に意識することなく、努力を続けることはそれだけで大いなる才能なのです。

努力を継続することができる貴方は自信をもっていいのです。才能豊かであるが故に「熱しやすく冷めやすい」タイプにとっては、この部分が弱点になることがあります。好奇心をもち、かつ努力を続ける、そんなスタンスが成功の秘訣になるのではないでしょうか?

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2013年1月 5日 (土)

チャレンジ

新年あけましておめでとうございます。本年もご愛読のほど、よろしくお願い申し上げします。

私は、新年の初頭に当たって、その年の目標や基本的なスタンスについて、心の中で発表し書き留め、年末に自分自身で振り替えるということを、27年間続けてきました。
今年の目標の1つに掲げたのは「年に3回新しいものにチャレンジする」ということです。私の場合はどうも目標をつくってそれに邁進することが自分の生きがいに繋がっていると思えるからです。

今、チャレンジしているのは昨年の12月25日に購入した「アイフォン5」です。普通の人でしたら全く問題ないのですが、メカパニック症候群の私にとっては、これはチャレンジのジャンルに入ります。この3月末までは、「スマフォのマスター」をテーマにしました。

ここまで約10日経過しましたが、結果は予想に反して至極良好で「面白くてしょうがない」というところが正直な感覚です。私が聞いていた情報は、「使いにくい」「電話とは別々の方がいい」という意見が多く、当初からスマフォの採用には消極的でした。 マーケテイングのイノベータ理論でいえば、アーリーマジョリテーに該当していると思っていました。しかし、腹を据えて、トライしてみると、初日こそ大苦戦しましたが、その後は先輩の使用者や技術者に聞きながら順調に推移。まんざらではないのです。

私にとっての、スマフォの魅力を3つに絞って紹介しておきます。1つめは、iPodがいつでも使用できること。iPodは発売直後は映像の仕事の関係で、私は「イノベータ」でしたが、iPod Touchが出た直後からやめてしまいました。しかし今回はすぐにツタヤに入会し、瞬く間に1300曲の入力をはたしました。昔と比べて、ダビングスピードは格段に速く、改良の後が随所にみられ、そこには感動がありました、2つめは、無料アプリが多数用意されていること。今私の気に入っているのは、新聞、歩数計とラジオです。特に、ラジオは、最近情報ソースとして重用しているので、ありがたいアプリです。3つめは、「Siri」という音声機能です。昔、OCRという技術がありましたが、携帯についていて、音声で検索や電話ができるというのは驚きです。いつかはそういう時代が来ると思っていましたが、もうすでに実用化しているというわけです。この機能はまだまだうまく活用できていませんが、奥が深く、使用用途はいろいろありそうです。

こんなわけで、日々スマフォが離せなくなりました。あの薄い携帯の中に自分の人生をコンパクトに「詰めていると思うといい気持ちでいられます。理解率はまだ60%ぐらいでしょうが、なんとか、1つめのテーマはクリアできそうですし、私はスマフォに関しては「アーリーアダプター」かもしれません。

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