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2012年9月24日 (月)

引き際

希望通り、NPOの代表の座を後任にバトンタッチすることになりました。1年1カ月の在位でしたが、相応の勉強をさせていただきました。今日は、私の常日頃考えている「男の引き際」について述べてみます。

人が、ある職務から辞意を表明して離れるかどうかという分岐点に立った時、その人の価値観が現れます。「上からもういい、と言われるまでは、がんばるのが当たり前」、「物理的にやれるのであれば続けるべき」という考えは、同期入社のF社旧人事部長の考えです。私が会社をやめようか迷った時に、相談した相手です。評価は人がする、故に何も言われなければOKとされているからやめるのは不合理という考え方です。定年になって会社から残留を言われた場合は、継続するのが自然です。

一方、モチベーションが上がらない、ストレスが大きい、物理的に犠牲が多いという場合は、やめるべきである、という考え方がある。この裏には、健康、金、家族という個人の3Kが見え隠れするとともに、組織としての責任という課題の捉え方があります。結果だけ見ると、「潔い」という考えにもなるし、「堪え性がない」という捉え方もできます。スポーツの選手の引退をイメージするとわかりやすいでしょう。

私の場合は、「男は引き際が肝心」という考えが強い。M社の社長辞任、F社の早期退職はその考えを実行した証になってしまいました。今回のNPO代表も類似ケースになりました。

NPO代表を辞めた理由を考えてみます。1つめは、「ストレス」です。入札に参加するのには種々の書類作成が必要ですがこれは私の大の苦手分野です。メンバーは協力するとは言ってくれても、提出のタイミングなどが噛み合わず、作成工程ごとのつなぎがうまくいかず、結局孤独に戦ったという想いが正直なところです。これは払しょくすべく組織として改善を求めたものの私自身には大きなストレスを与えました。2つめは、大学の授業運営を始めてとしてやりたいことが多々あり、片手間で代表はできない、何かを犠牲にしなければならないという状況に対してどう向き合うかです。普通の状態では問題ないのですが、ひとたび問題が起きれば全身全霊を打ち込んで「責任」を取らねばなりません。責任とは、やめればいいというものではありません。40人以上のメンバーの安穏と平和や社会に対する貢献責任というものが重いのです。3つめが「モチベーション」です。最初に辞意を漏らした4月に、「ここまでよくやってくれました。全員があなたについていきますよ。」というOKメッセージを具体的に何人かからもらえればモチベーションは上がったでしょう。しかし「なんで1年でやめるのですか?それはない。」という議論になってしまい、引き受けた経緯が経緯なだけに全くやる気がなくなってしまいました。これは私の悪い癖ですが仕方ありません。この「褒められたかった」という心理状況は私自身が他の勉強会でカウンセリングをうけてみて指摘され気がついたことです。こんなところに重要な分岐点があるのですね。

辞意の理由は、上述の1と2をメンバーに述べ、後任のOKをもらうのに2カ月を要しました。モチベーションが上がらない状態で代表を引き受けるわけにいきません。ヒヤヒヤの13カ月でしたが、今はホッとしたというのが正直なところです。

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