« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

2012年7月31日 (火)

鯵釣り

3年ぶりか、5年ぶりか、定かではありませんが、船釣りに行ってきました。このブログで船釣りのことを書いた記憶が無いので、もしかすると5年ぶり。すなわち、退職してからはじめてかもしれません。婿殿が船釣りをぜひにと希望していたので、猛暑ではありましたが、いけるタイミンで、まずはボーズの可能性の低い「鯵釣り」を選びました。

朝4時50分に起きて、現地まで1時間。船宿は、いつもの「島吉丸」です。なんといっても、「島吉丸」は初心者にも懇切丁寧に教えてくれるのでこういうケースでは最高です。過去、様々な船宿を使いましたが、なかには「何をモタモタしている?」などと暴言が飛び客としての扱いをしない船宿もあります。そんなわけで、今では「相模湾は島吉丸」と決めているというわけです。今回も期待にたがわず婿殿をサポートしてくれました。

鯵の釣り方の特徴は、1.水深が深い、2.電動リールが必要、という2点です。独特の「ビシ」を天秤につけ、イワシのミンチを詰め込み、100M前後の深さまで落とします。私は2セットは持っていないので、1セット借りて、乗船しました。爽やかな風が吹き、それほど暑さは感じません。心地よささえ感じました。

最初は、鯖ばかり釣れました。鯵釣りに鯖はつきものなのですが、鯵が一向に来ないのは寂しい。釣り開始後1時間半して、理由が判りました。船長の指示は、「タナは底から3M。」というものでしたが、私は「水深が92M.そこから3Mだからタナは89M。」と思い、そこを集中して攻めていました。あまりの鯖の攻勢で、一度海底にビシを着底させてみました。すると水深は103Mあるではないですか?即ち、棚は10Mあまり違っていたのです。そして、補正後、初めての鯵がきました。さあこれから、と思った瞬間、場所移動となりました。

次の場所では、糸がよく切られました。スペアの仕掛けは6セット用意していったのですが、結局全部使い切りました。これも理由が途中で判明しました。鯵は口が弱く切れやすいところで高速でリールを巻き上げると糸まで切れてしまうという現象です。この因果関係が判ってからはまあまあの釣果を得ることができました。鯵はどれも32~34㎝で魚屋ではみれない品格がありました。私と婿殿で、鯵19匹、鯖15匹、ホーボー1匹というのが今回の釣果です。

帰宅し、早速食してみました。鯵は予想通りさすがの味(洒落??)でしたが、鯖が当たりでした。以前に経験した絶品の鯖に似た味が塩焼きを食してみて確認しました。今年の相模湾の鯖は旨い、と断言しておきます。

最後に、写真をプログに乗せようとしましたが、携帯で撮ってからPC等に移すカードが入っていませんでした。今頃気づくとういうことは、ブログでも約3年写真を掲載していなかったのですね。近々、カードを買って装着しておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月26日 (木)

四国旅行

女房殿と四国旅行に行ってきました。阪急交通社のTRAPICSで4回目の参加になります。今回は、これから四国に行かれる方への情報として参考にしてください。

私たちのスタートは、新横浜からです。入場券で入って、新幹線の社内で添乗員と落ち合うという仕組みがはじめてでやや戸惑いがありました。そこから岡山駅まで直行です。

1日目:愛媛県に入る「しまなみ海道」はなかなかのものでした。そのまま、宿泊の道後温泉へ。ここで、ちょっとしたトラブルにあいました。旅館のフロントで、道後温泉本館の入浴チケットを買ったのですが、希望した2Fが終了間際という説明が無かったため、800円が無駄になりました。これは旅館のフロントが注意として言わないとダメ。2つ目のトラブルは、ゴキブリが出たということ。裏拳一発で殺しましたが、気分が悪い。これで1人5000円アップは高いです。こういう宿泊場所の選択肢がある場合、既定の安い宿泊の方が正解と思うに至りました。

2日目:四万十川で屋形船もどきに乗り、爽やかな風に吹かれてご機嫌でした。ただ、宿泊地である高知に着いたのが、前日同様やはり7時過ぎ。宿泊はホテルで夕食は外食となっているので、街に出てみて、アッと驚く。商店街は、7時半だというのに、ほとんどのシャッターが閉まっていました。ゴーストタウンのようです。ここも主催者側は今少し説明が必要でした。
この旅行は2泊3日で四国を一周するというのが売りですが、朝は7時半ごろスタートし、夜は7時ごろ到着するので、年寄りには結構な強行軍です。

3日目:朝一番で、今回の私の目的である桂浜に到着しました。私がいままで行っていない県が山形県と高知県です。特に高知県は、桂浜の坂本竜馬の銅像の前で宴会をやりたいと昔アライアンスの仕事仲間と話していた曰くつきの場所でした。ようやく念願が叶い、珍しく集合写真も購入しました。
この日は見どころが多く、この後、日本三大奇橋のひとつである「かずら橋」、そして金毘羅様へと見所満載です。私は左足が悪いので嫌な感じでしたが、なんとか「かずら橋」をクリア。暑さでへろへろになりながらも、金毘羅様の785段も何とかクリアしました。

バスでの移動時間が長い旅行でしたが、最終日にはじめての場所を訪れ、トータル的にはまあまあでした。高知県にはじめて行けたのがOKでした。
孫2人を連れて、好きなように言うことを聞いてあげているおじいちゃんが印象的でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月21日 (土)

大学教師という職業

7月20日(金)をもって、大学の授業が実質終了となりました。ここから約2カ月の夏休みが待っています。長期休暇があるのは、講師にとってはありがたいのですが、今年もなかなかのんびりもしていられません。昨年は、秋期のテキストづくりに、50時間以上費やし、企業の研修が毎週入り、全く遊べませんでした。今年もやらねばならない仕事がいろいろあります。

まずは、学生の提出物の評価。約300人のレポート(約1200文字)を読んで評価し、成績をつけることをしなければなりません。他の講師はここで苦労するようですが、私の場合は、成績のINPUTは速い。私は暗算が得意な算盤の達人なので、計算は苦にはなりません。多分他の講師の10倍のスピードでできるでしょう。

そして、秋期の「ワークブック」づくりが次の仕事。春期につくったワークブックと違って、秋期のそれは昨年私が艱難辛苦の末つくったものが土台になります。監修のN教授がオーストラリアに行って9月末にならないと帰国しないため、メール連絡をとりながら進めています。ただ、この仕事は、著作としての実績になるので、特にやりがいがあります。

この他に、春期授業のまとめの作成と発信、その振り返りの打ち合わせ、秋期授業のタイムラインの作成などを、粛々とこなしていかねがなりません。というわけで、休みが長い割には今ひとつ開放感がないというのが実感ですが、これは性格ですかね?

大学の教師もそう楽ではないというつもりでここまで書いてきましたが、そうはいっても企業人とは質が違います。ストレスの度合いで測ってみると、企業人の時は今の10倍以上のストレスをもっていた感じです。小中高の教師が直面するいじめの対応などもありません。好きな仕事を自由にやっているのはストレスにならないということでしょう。8月は遊ぶぞ!!まずは明日から、四国旅行へ行ってきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月12日 (木)

ラスト・メッセージ

7月も中旬ともなると、大学の授業が終了となる季節柄になります。私は、最終講では、学生に対し、ラスト・メッセージを贈ることにしています。去年は、「I’m OK、 You’re OK」。一昨年は、「就活の3K・・・・・聴く、書く、語る」を言いました。その時、その瞬間で、もっともFITする言葉を選んで言うことにしています。

今年は「自分のリソースを受け容れよう」という言葉で締めました。
チームMJの勉強会の7月のテーマが、ニーチェの「ツアラトウストラ」の輪読で、この中に、120%アグリーのフレーズが出てきたのです。「マイナスを既定条件として考える」。自分の境遇や環境を不幸と感じ「文句を言う」という微弱な快感と引き換えに、積極的に悦びを汲み取ろうというものです。それ以外に能動的に生きていく方法はない、ブーたれて生きようが前向きに生きようが自由だがせっかく生きているのなら悦びを汲み取って生きよう、という意味です。人はみなそれぞれのしみがありデコボコなキャンバスのもとに生きていくしかない。しみだらけのキャンバスに文句をつけるのではなく、その上にどうやって自分なりの絵を描くか、それはあなた自身にゆだれられているというものです。

私なりにこれを噛み砕くと、「タラ」「レバ」やあらゆる「僻み」「妬み」「劣等感」は人間である以上皆それぞれの中に様々な形で存在すると思うのですが、それを既定条件として受け容れそこからスタートして欲しいと思うのです。氏育ちを恨んだり、人と比較してコンプレックスばかりが前に出ては、プラスのエネルギーが削がれます。
世の中で成功している人は自分のリソースはマイナスであっても受け容れて、場合によってはプラスに変えているでしょう。人よりよければありがたく頂戴すればいいし、悪ければそれが既定条件として受け入める。その結果、人生が開けると思います。

ニーチェとは全然違った言葉になってしまいましたが、こんな想いを言葉にして授業を締めたのですが、学生に伝わったでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年7月 2日 (月)

時代の流れ

2011年も半分過ぎました。皆様、ひとりひとりが目標に向かって前進していることと思います。
1年の中で、世の中が変化する節目が4回あると思っています。1回目は、3月末。年度末であり、官公庁では予算の消化が気にされる時期ですし、企業では会社の通信簿がでる決算月です。そして、卒業、退職、異動。2回目は、今。すなわち6月末です。企業の第一クオーターの終了。そして、株主総会により経営陣の刷新が行われる時期です。第3回目は、9月末。上半期の終了。そして4回目が、年末。第3クオーターの終了と師走です。

今年の6月末の節目はわたしの周辺でも大きな変化が訪れました。研修の仕事でお世話になったD社のO社長、そしてM社のI社長が退陣となりました。経営成績が悪いからではなく、年齢による退陣で、これは時代の流れですので致し方ありません。遡ると、J社はこの2月にすでに社長が変わり、F社小田原工場の研修担当は昨年変わっています。私は独立してからこの人達に支えられて生きてこれたのですが、5年もたつと環境は一変するものです。逆に考えると、私が退職した時には、彼らが元気に会社を引っ張っていたのが私にとってのラッキーでした。

バンドメンバーのT氏もこの6月末で退職です。話は本人から聞いていましたが家族のことを想い63歳までがんばってきたのを知っているだけに、一抹の寂寥感がありました。御苦労さまでした。

もうひとり、私の現役時代に同じグループでがんばってくれたF社N課長が会社に見切りをつけて早期退職をするということを6月30日に知りました。この日、H女史が粋な計らいで、F社時代の旧小倉グループのメンバーとの飲み会を開いてくれました。そこにN氏本人が現れその心情を聞く機会に恵まれました。つまり、その日は、F社における最後の日ということになります。N氏は才能豊かな人間なのですが、私のグループから離れてからは、恵まれた処遇を得ていなかったように思います。会社として彼をうまく使いこなせなかったのは残念です。

私自身では1つだけいい方向への変化があります。NPOの代表を9月で退任することになりました。次の代表候補を七転八倒して、この3カ月探していましたが、ようやく受けていただく人をアサインすることができました。NPOの代表は最近の私の最大のストレッサーでしたので、さすがにホットしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »