義父の逝去
9月12日朝方5時ごろ、女房殿の携帯が鳴りました。病院からです。嫌な予感がしました。10日前に入院していた同居中の義父が91歳の生涯をとじた瞬間でした。最近は、「年に1回程度、入院しては退院。」という状況を繰り返していたので、今回も帰ってくるものと思っていました。腎臓の不調に悩まされてはいたものの、今回人工透析を受けることで、まだ2~3年はいけるであろう、と思っていましたが、甘かったようです。
故人は朴訥な実直人間で私にとっては癒し的な存在であり、尊敬しておりました。
12日月曜日から、14日の通夜、15日の告別式と対応に追われました。特に、女房殿はほとんど一人で仕切っていたので、七転八倒の忙しさでした。
この間、新たに気付いたこと、学習したことを3つにまとめておきます。1つめは、驚きでした。戒名の話です。檀家であるT寺で葬儀をあげたのですが、お寺の方から、お金を要求されました。普通は、「信士」で、その上が「居士」、その上が「院居士」となっていて、眼玉が飛び出るような金額を言われました。私の菩提寺であるH寺ではこのようなことはありませんでした。昔から戒名は高いと聞いていましたが、目の当りにしたということです。ちなみに義父には「永壽院眞翁泰平居士」という戒名をいただきました。
2つめは、納棺式という儀式のやり方に新鮮味と爽やかさを感じました。死者に背広を着せて今から仕事に行く、という感じの化粧を施します。ただ寝ていて、今にも起き上がりそうな臨場感がありました。私の嫌いな頭につける三角の布は横に置いておくだけです。このようなやり方は悲壮感がなく、明るい気分にさせてくれます。年寄りが亡くなった時に限っては有効な気がします。
3つめは大嫌いな火葬場の話。戸塚区の火葬場ははじめてでしたが、けっこう遺体を無造作に焼却炉に入れてしまったのは驚きでした。私の普通の感覚では、最後の対面をしてから入れるというものですが、そうではありませんでした。これについては、普通は「否」でしょう。親愛なる家族にとっては無礼な話でしょう。しかし、この方が気持ち的に考えたり悲しんだりする間が無いのでかえっていい、という考え方もあるでしょう。
私は35歳の時に母を亡くしました。以来、常に「死」について考えてきた気がします。会社を早期退職したり、人との関わりの仕事をしたりしているのも、この点とつながっています。しかし、私自身いまだに自分を納得させる答えがこのテーマでは見つかっておりません。義父の死はこのテーマをより深く考えさせてくれました。91歳まで生きて大往生を遂げた義父に感謝!合掌。
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