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2011年9月

2011年9月30日 (金)

秋期胎動

9月末から大学の秋期が始まりました。私は、2か月ほど遠ざかっていたので、エンジンがかかるか心配でしたが、まあ何とかなるものです。27日は、カウンセリングの日で、来談のクライエントは2人。A君は、この暑い夏に、自転車で京都まで旅行した由。B君は内定。2人とも報告でした。B君の場合は、たまたま昨年の講座で「君は説明がうまい。教師に向いているのでは?」と私が言った(私は覚えていません。)ことが導火線になり、教育産業に就活の方向を変換。4社受けて3社合格。というちょっとしたいい話。

翌28日はいよいよ授業のガイダンスです。私が担当するキャリア教育は1日3コマあるのですが、3年生向けの2コマで想定外のことが起こりました。春期は各々80名強の希望者なので全員履修としたのですが、今回はなんと希望者が多すぎて、教室に入りきらないという異例の事態が起こりました。70名×2の授業の定員のところを、希望者は482名ということで、競争率は、3.44倍となりました。思いもしない抽選という事態になり、当日は、夜9時までかかって、厳正な抽選を行い、履修者を決めました。9月に入ってようやく学生の就活というスイッチが入った、チラシがうまく機能したという2点は増えた要因であろう、ととりあえず分析しています。

1~2年生向けの1コマは予定通りやはり抽選。こちらは、希望者170名。履修者は半分の85名でした。春期と違うのは、1年生が圧倒的に多いというのが特徴的でした。

結局、ガイダンスとして同じことを7回しゃべりました。最も人の多かった2限は、ガイダンスは3回興業となりました。さすがに疲れたようです。PM9:00過ぎに学校を出て、終電までビールで喉をうるわしました。相当疲れていたのでしょう。年のせいも当然あるでしょう。その翌日はPM2:00まで寝てしまいました。春期は、ここに企業研修がはいっていて全く休みがなかったことを想えば今は夢のような極楽気分です。春期はよくあの苛烈なスケジュールを7か月も続けたものと自分自身に驚嘆です。

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2011年9月21日 (水)

台風

日本は地震の多い国ですが、台風の多い国でもあります。昨日、今年初めて釣りに行こうと思い、タックルを用意し、満を持して、朝5:00に起床しました。ところが、外は小雨。私は雨の中で無理して釣りをしようというタイプではないので、しばらく様子を見ることにしました。原因は台風15号でした。これではあきらめざるをえません。

今年に入って、警戒を要する台風はこれで3つめです。ここまでの2つは直撃にはならなかったのですが、今度は日本列島をなめるような進度予想となっています。特徴は、大雨で、各地で、河が氾濫するなどの水害が顕著です。

今、台風が来て最も私にとって頭の痛い問題は、江の島です。ここでは、NPOとして、キャリア・カウンセリングの事業を2つ行っています。台風になると、江の島大橋が渡れるのか、高潮が大丈夫かと心配になります。NPOでは、8月までは、単に副代表の一人だったのですが、9月から代表となってからは我身のみの安全だけを言っていればいい、というわけにいかなくなりました。メールや電話でどうしましょう?というヘルプ・コールもよく入ってきます。自分一人でしたら楽ですが、場合によっては的確な判断をしなければなりません。大きな台風が近づいてくるといままでにない胸が締め付けられるような気分になります。

1つ想い出しました。台風の被害や状況を人々の記憶にもっと鮮明に残すために、アメリカの「カトリーヌ」というように、固有名詞をつけるのはどうでしょう?、○○年の○○号台風という機械的な呼び方では「ああ、あれね。」という程度ではないでしょうか?変化を好まずひたすらまじめ風に取り組む。こんなところにも日本人の気質を感じます。

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2011年9月17日 (土)

義父の逝去

9月12日朝方5時ごろ、女房殿の携帯が鳴りました。病院からです。嫌な予感がしました。10日前に入院していた同居中の義父が91歳の生涯をとじた瞬間でした。最近は、「年に1回程度、入院しては退院。」という状況を繰り返していたので、今回も帰ってくるものと思っていました。腎臓の不調に悩まされてはいたものの、今回人工透析を受けることで、まだ2~3年はいけるであろう、と思っていましたが、甘かったようです。

故人は朴訥な実直人間で私にとっては癒し的な存在であり、尊敬しておりました。

12日月曜日から、14日の通夜、15日の告別式と対応に追われました。特に、女房殿はほとんど一人で仕切っていたので、七転八倒の忙しさでした。

この間、新たに気付いたこと、学習したことを3つにまとめておきます。1つめは、驚きでした。戒名の話です。檀家であるT寺で葬儀をあげたのですが、お寺の方から、お金を要求されました。普通は、「信士」で、その上が「居士」、その上が「院居士」となっていて、眼玉が飛び出るような金額を言われました。私の菩提寺であるH寺ではこのようなことはありませんでした。昔から戒名は高いと聞いていましたが、目の当りにしたということです。ちなみに義父には「永壽院眞翁泰平居士」という戒名をいただきました。

2つめは、納棺式という儀式のやり方に新鮮味と爽やかさを感じました。死者に背広を着せて今から仕事に行く、という感じの化粧を施します。ただ寝ていて、今にも起き上がりそうな臨場感がありました。私の嫌いな頭につける三角の布は横に置いておくだけです。このようなやり方は悲壮感がなく、明るい気分にさせてくれます。年寄りが亡くなった時に限っては有効な気がします。

3つめは大嫌いな火葬場の話。戸塚区の火葬場ははじめてでしたが、けっこう遺体を無造作に焼却炉に入れてしまったのは驚きでした。私の普通の感覚では、最後の対面をしてから入れるというものですが、そうではありませんでした。これについては、普通は「否」でしょう。親愛なる家族にとっては無礼な話でしょう。しかし、この方が気持ち的に考えたり悲しんだりする間が無いのでかえっていい、という考え方もあるでしょう。

私は35歳の時に母を亡くしました。以来、常に「死」について考えてきた気がします。会社を早期退職したり、人との関わりの仕事をしたりしているのも、この点とつながっています。しかし、私自身いまだに自分を納得させる答えがこのテーマでは見つかっておりません。義父の死はこのテーマをより深く考えさせてくれました。91歳まで生きて大往生を遂げた義父に感謝!合掌。

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2011年9月 7日 (水)

普段行けない所

普段ではなかなか行けない場所があります。一生縁がない人も多い所。時間があったら一度行ってみよう、と思う所。私の場合は、その1つが「裁判所」でした。妻を伴って、横浜の簡易裁判所に見学に行ってきました。やっと、想いが叶ったというところです。

入り口1階に、どの法廷で何をやっているかの一覧表が貼り出されています。結局、刑事事件3件を傍聴しました。最初に入ったのは、「窃盗」事件でした。60がらみの人のよさそうな被告ですが、金に困り、出来心で、募金を盗んでしまったという。検事も弁護士もそして裁判官も被告の反省を促そうとしているのですが、被告自身が事の重大性についてとにかく甘い。ノー天気な感じが眼につきました。

2つ目は、「覚醒剤取締法違反」です。被告は身体を壊してから転落。いつのまにか組織の覚醒剤の売人になっていたという。こちらは反省することしきりでしたが、はたして覚醒剤から離れることができるのでしょうか?ちょっと、人生の方向がずれても、人間の一生というのは大きく変わる、という感を強く持ちました。裁判官と被告、まるで真逆のようですが、人間の一生は有為転変。立場が逆になってもちっとも不思議ではない、という感覚です。

3つ目は、「強盗 不法侵入」です。この裁判は裁判員制度のもとで行われていました。法廷は他よりも一段と広い。飲食店に押し入り売り上げを強奪したという事件です。内容を聞いていて、ゾッとする部分が多々ありました。人はどこで不運に遭遇するか分からない。シビアです。未逮捕の同様な案件が世には蔓延っているのでしょうね。

驚いたのは、私たちのような見学者が他にも10人ほどいたということです。法廷を移動して同じ人に会うからそれが分かります。中には、学生のようなグループや裁判についてやけに詳しい学者らしき人もいました。

その後、中華街へ繰り出し、大好きな中華バイキングの食事をとりました。場所は「皇朝」。この店はこの日新しく開拓しましたが、味にくせがなくなかなか旨い。腹をすかしていなくてもおいしく食べられる店です。どこに行くか迷ったら1回入ってみてください。いい所を見つけました。次回は、ここで団体での飲み会を開く手もありか、と思いました。

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2011年9月 5日 (月)

国際医療活動

今年前半7か月は、自分の時間がとれず、アウトプットばかりでインプットがほとんどない片肺飛行状態でした。というわけで、今年初めて、コーチングの勉強会に出席しました。チームMJのMさん主催の会で場所は日暮里。私の住まいからはちょっと遠いのですが、ルンルン気分での参加です。

昨年までは、MコーチやKコーチの勉強会に時間をみつけては参加していました。そのたびに新たな出会いや新たな気付きがあって、コーチングの会は楽しい、というのが私の思いです。今回も例にたがわず楽しい学びでしたが、セッションが1回のみで、あっというまに2時間が経過しました。

実は、この日のお目当ては、その後の講演会でした。講師は、女性内科医師のNさんで、「国際医療活動」という社会貢献がテーマです。彼女は、ミャンマーに赴き、国境なき医師団のメンバーとして、現地の医療に携わってきました。基本的な医療に到達できない人々の力になることを使命として活動中の由。ミャンマーの現地に医療を受けられるクリニックを創設することが当面の目標であり、そのためにNPOを立ち上げ準備中です。

薬を買う金がないため下痢で命を落とす幼児が多い、などミャンマーの実情を聞いて、様々な思案をめぐらしていました。ミャンマー、国際医療、人助け、生きる意味等々は当然として、40代で天命を聞き、目的を持って必死に頑張っているNさんの熱意がすごい。なによりもNさんの人間性が魅力的ですばらしい。「訳のわからない難病」や「がん」と戦い、自分を見つめ直した場面は私と共通の同士と感じました。

何とか力になってあげたい。多くの同胞にNさんの話を聞かせたい、そうすれば会員が増え、資金の基盤ができると思います。、私は、4つの組織・団体に関わっております。それらの会で、彼女の講演を仕掛けてみたい、と思いました。

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2011年9月 2日 (金)

ドジョウ

ドジョウは金魚にはなれない。新宰相野田氏の党大会時の演説に出てきたフレーズです。ドジョウはドジョウの良いところがあり、金魚は金魚の良いところがある。華麗さ、派手さ、アピール性などの華やかな部分と、継続性、安心性、現実性という地味な部分は対極です。時と場合によって、どちらがいいかは変わるのではないでしょうか?

一人一人が自分の強みや長所を認識し、健全な自己肯定感をもつことができたら、前に進むエネルギーのパワーとスピードがつきます。そうなると、地震復興、経済の活性化などの前向きパワーに結実すると思っています。

「モデリング」という手法があります。自分がないたいと思う人を見本にする、自分の尊敬する人をみつけその人に近づくように努力する。いずれも若い頃は有効ですが、齢も50を過ぎてきますと、いつまでも迷っているわけにはいかないでしょう。自分の性格は?強みは?特徴は?何がしたいのか?何に興味があるのか?何に向いているのか?どんな形で社会に貢献することができるのか?などに、とりあえずの答を持っておくと判断の分岐点に来た時に右顧左眄しないで済みそうです。金魚になりたいけど、私はドジョウ。と自覚認識する時から、視野が開けるように思うのです。

普段お付き合いはない人達ですが、私のみたところ、自分が全くみえていない人が少数存在します。その人たちの共通の特徴は、自分が見えていない分、外界に対するエネルギーが強いという点です。故に、影響が大きく、周囲の人に、不快感や厭世感を与えたりします。影響を受けた人が私に相談することで実態が明らかになります。

0から1を作ることにかけては天才的ですが全く人の話を聞かない100%の自己中人、罵詈雑言の連発で社員の退職が相次いでいるノン・マネジメントTOP,30代の若さで講師やトレーナーとしてチヤホヤされ舞い上がり傲慢で人を上から目線でしか見れない若者(IUE=I&Ifrom Upper Eye)など、老若男女どこにもありです。自分は金魚だと思い込んでいます。

ドジョウのフレーズは、相田みつを氏の詩だそうです。恥ずかしながら、私は知りませんでした。この機会に相田みつお氏の詩にふれてみよう、と思います。こんな私がいるから、即増刷ということになるのでしょうね。

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