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2011年8月 7日 (日)

3人の私

夏休みに入り、唯一私が稼働しているのは、T大の秋期の授業プログラムの作成です。当然私がやらなければならないのですが、1日3時間ぐらいはかかっており、相当難物です。完成までには延べ60時間程度の無料労働になりそうです。この作業の中で、「自分史」というアイテムがあります。脱線して、私自身の自己分析をしてしまいました。

今の私は3人目の私という気がしています。1人目の私は、生まれてから高校1年生の1学期まで(0歳から15歳)。特に特長も無く、不器用で運動音痴。コンプレックス十分の少年でした。走るのが遅く、運動会に両親が見に来るのが嫌でしょうがなかった頃の私です。ランドセル、グローブや自転車など、他の学友と比べると安ものを使っていたという貧乏コンプレックスもありました。若干勉強ができたのと、習っていた算盤の上達が早かったぐらいが取り柄でした。

こんな生徒が変わったのが高校1年の時でした。友達の影響で勉強に集中しだしてから、私は目覚めました。成績が勉強量に比例してぐんぐん上がりだしてから、コンプレックスが、「突っ張り」と「傲慢」に変わりました。全校に公表される学力テストは常にNO1であり、当時珍しかったエレキギターを弾いたりして、目立つことに喜びを覚え自己実現と勘違いしてしまった私がいました。この「傲慢」な私は、そのまま会社に就職し、52歳の大病を患うまで続きました。実に37年間、周りに毒を撒き散らしていたやに思います。最近、私の周囲に、才能はあるのですが、自分の能力に自信をもった挙句、「上から目線」で人を見る若者を散見します。その増長度合いと傲慢さはコンプレックスの裏返しで突っ張っていた昔の私を想い出させます。

3人目の私は、52歳から今に至る9年間です。温厚で人の話をよく聴き、昔でしたら怒ったり避けて通ったりする人間をも受け入れる自分がいます。生きていることが幸せと心から感謝の気持ちを感じている自分がいます。多少、苛立ったり、マイナスの感情が湧くことはありますが、鷹揚に構え冷静に対応できる自分がいます。

もちろん、今がもっともストレスが少なく、生きている意味を感じながら日々快適に過ごしています。そんなことにあらためて気がつきました。ひょんなところで脱線し、こんな分析をしていました。

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