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2011年7月

2011年7月24日 (日)

NPO代表に

今年1月から7月まで、仕事でアウトプットする機会が83回ありました。内容は、1~3月のTA大学の講座、M計画26回、講演、4~7月のT大授業14回(1日3コマ4時間30分)とゼミ11回、D計画12回(5月から続行中)、CCトレーナーデビューなどです。内容的にはやりたい仕事ばかりですが、いかんせん集中しすぎました。土日は、勉強会やNPOの定例会に出席したので、準備にも時間を取られ、結局丸1日休めたのは1月11日から7月21日までで3日間のみでした。そんな状況なので、今年の目標は、この過密スケジュールをこなすことが第一でした。ここにきて、T大学生約200人の成績をつけることとD計画の4回が未完了ながら、ほぼ達成となりました。やりきりました。よくぞこなした、ともう自分を褒めています。ダルマに眼をいれます。

そんなわけで、前日も酒が入り、翌日ルンルン気分で、NPOの定例会に出席しました。こちらの方は、休業状態で全く現場に入ることができず、月1回の会議にのみ参加となっていました。折も折、代表のM氏が6月に脳梗塞を発し、幸い発見が早かったため、大過なく後遺症もなく戻ってこられました。しかし、もう代表は無理、という本人の懇願は説得力十分でした。この場で次の代表を決める、という展開になりました。実はM氏が倒れた時に、代表代行を決めようという話があったのですが、その時は、指名された人の辞退が相次ぎ、人の「盥まわし」が行われ、右顧左眄した経緯がありました。

M氏の懇願のあと、女性のT氏とH氏が打診されましたが、実にうまく断わるものです。私がそんなことに感心しているうちに、T氏と書記のN氏が、矛先を私の方に向けてきたのです。まさかこんなシビアな話になるとは全く予想せずに、余裕ができてルンルン気分の私は全くの無防備でした。NOの理由を探す以前に「未解決の問題があります。私では解決できません。」と普段思っている言葉を発していました。この一言が墓穴を掘りました。M氏は、「その問題は責任をもって私が処理します。」と言う。病み上がりでやややつれたM氏が問題解決に身体を張って異様な決意を漲らせているのが私にはひしひしと伝わってきました。「義を見てせざるは勇なきなり」。そう思った時の私は事の重大さや現実さを横に置いて、「ここで助けなければ何とする。」という地の資質が私の中で頭をもたげてきたのです。断わる言葉が出てきません。訳のわからないまま、来年3月までの期限付きの前提で代表を引き受けてしまいました。

ちょっと時間がができると、こんな話が来る、そしてうけてしまう、まあ困ったものですが仕方ありません。役に立てるうちが「華」かもしれませんし、これが運命、私の人生なのでしょう。NPOは約40名の大世帯です。M氏のように緻密な対応はできませんが、各メンバーの助けがあればなんとかなるでしょう。このブログを読んでいただいている江の島のメンバー各位様、くれぐれもよろしくお願いしますよ。

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2011年7月18日 (月)

女子サッカー ワールドカップ

18日(月・祝日)は、朝4時に起きました。女子サッカーのワールド・カップの決勝アメリカVS日本のTV観戦のためです。当日は仕事が無く休みであったのと、もしかするとこの試合はサッカー界において歴史的な試合になるのでは、という予感があって、3時間寝てすぐにTVの前へ集合となりました。

丁度娘夫婦が遊びにきており、大人が6人いました。その中で、サッカーを観に早起きしてきたのは3人でした。この3人は正解でした。期待にたがわぬ好ゲームが見れました。凄い試合でした。少なくとも私が観たサッカーの試合の仲ではベストでしった。

私は前半10分経過あたりからの観戦でしたが、とにかくアメリカに押されっなし。相手のミスに助けてもらっているというのが率直なところでした。しかし、押されながらも、前半は、0対0。後半、先制したのはやはりアメリカでした。瞬間、銀メダルでいいじゃないか、という想いが脳裏をよぎりました。ところが、信じられないことにすぐに同点となりました。難しいこぼれ球を、アウトサイドに足を使って、軌道を変えて同点とした日本女子のテクニックに感心。私は昔空手をやっていましたので、このキックの難しさはよくわかります。脱帽です。

舞台は、1:1で延長戦に。またまた延長戦の後半、決定的に見えた得点はアメリカの方に入りました。電光石火のへデイングによる得点でした。こんどこそは終わりとあきらめの早い私は思いました。ところがまたしても奇跡がおこったのです。日本は、コーナーキックのボールに飛び込みながら芸術的な軌道修正キックを放ちあっというまの同点としてしまったのです。このテクニックは更にすごい。通常の足の動きとは真逆の方向に足先をひねって、飛んでくるボールに走って合わせる。はじめてみたテクニックです。空手で言うと、横蹴りと後ろ蹴りの合わせ技のような感じです。映像を見る限りでは、よく見えません。

そしてPK戦へ。PK戦はドキドキします。そんな中、日本は1発目のPKをゴール・キーパーが足で止めたのです。信じられません。奇跡を観ました。何か得も言えぬ強い力が日本チームの背後にいるような感じがしました。アメリカは浮足立ち、PKをミスる選手も出る始末。PKが始まる前、笑顔がこぼれていた日本の監督の表情が結果を物語っていたような気がしてなりません。

日本の女子は世界一になりました。まさに歴史的な快挙です。この10年ぐらいの我人生で、スポーツ観戦というジャンルにおいて、見ていて涙が出るような感動を与えてくれたのが、このゲームでした。歴史的なイベントに遭遇する可能性がある時は、第一優先としてチャンスを求める。そんなことも、自分の人生に対するモチベーションを上げるのには有効に機能すると改めて思いました。

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2011年7月17日 (日)

新平家物語

作家吉川英治氏は、「新平家物語」を完成させるのに、7年の歳月を要したと言っています。その大作16巻を読み終えました。8か月ぐらいかかったでしょうか?歴史小説の大作は、司馬遼太郎「翔ぶがごとく」→吉川英治「私本太平記」→池波正太郎「真田太平記」についで、4年間で4作目ということになります。

「新平家物語」という表題から、平家の栄枯盛衰について書いてある、と予想していたが、内容はもっと広範囲であり、後半は源義経のことが詳しく書いてありました。吉川氏曰く「本文は、「平治物語」「保元物語」「平家物語」「源平盛衰記」「義経記」「吾妻鏡」といったもの、すべてに読みまたがっており、それに1つの系列とわたくしの創意を与え、縦横に織ったのが「新平家物語」であります。」。要は、広範囲に亘る小説であるという解説をしています。我々が通常目にする戦国時代以降の武将物語や明治維新前夜の話とは趣を変え武家社会の草分けとなった源平の時代にさかのぼっているところに新鮮さがあり、そこに歴史というものの深さを感じました。

吉川英治氏の作品については、「三国志」と「宮本武蔵」が私の昔からの愛読書です。「三国志」は7回、「宮本武蔵」は3回読んでいます。そんな意味で、私に最も影響を与えた作者といえます。新平家物語は文脈が格調高く、貴族言葉がよく現れ、「文学」としての香りを十分感じました。そして何よりも、16巻を読破したことに達成感を感じます。会社の現役時代に読めなかった長編歴史小説を読むことを1つの目標として、それを励行しているわけですが、ここまで続いてくると、日課のようになってきました。朝起きた時、夜寝る前、電車で仕事に行く時などにコツコツと読み続けています。

未読の長編歴史小説がある以上は、このパターンを続けます。次のターゲットは、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」にしました。この作品は読者が多く、最近ではTV放送もされ話題になりました。話題になるごとに、意識していた作品です。「竜馬がいく」は読んだのですが、「坂の上の雲」は未読でした。遅ればせながら、2011年7月16日スタートです。

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2011年7月11日 (月)

振り子の原理

今年は3月の大地震に加えて、6月から34℃を超す暑さが続き、幼稚な人災が日々表面化する苦しい世相が続いています。こんな時FITする考え方はないだろうか、と棚卸した結果、「振り子の原理」という考え方に思い当りました。

楽あれば苦あり、苦あれば楽あり、という諺があります。人は、一方的に「苦」が続くわけでもないし、一方的に「楽」が続くわけでもない。「振り子」は、右に振れた分だけ、左に戻って振れます。人生の振幅もこれに似ているというわけです。苦しんで克服したら、苦しんだ分だけ、楽しみになって返ってくるという考え方です。

私は、9年前に、大病を患いました。一昔前でしたら、助からない病でした。この時は、3回の大手術を受け、半年間×2回 会社を休みました。すべてを忘れ、治療に専念した結果、奇跡的に治癒しました。長い闘病生活の中で、日々考えていたのは、「普通に生きていることの幸せ」「病気が治ったらやりたいこと」「自分は何ができるのか」ということでした。この時、一度死んだのならポジテイブに「おまけの人生」を生きていこう、と心に決めたことが、早期の自主退職につながりました。病気によって自己理解を深めたことが、今日の私の源になっています。退職後の私は正に順風満帆です。ある意味、いままでの人生の中で今がもっとも充実して輝いている瞬間の中で生きています。これが「振り子の原理」です。

「私はついていない」「何をやってもうまくいかない」などと人生を嘆くのではなく「今は振り子が振れていて天から試されている」「ここを乗り越えれば振り子はいい方向に振り返す」。このように考えることはできないのでしょうか?私は、この6ヶ月半、こんなご時世にも拘わらず仕事三昧の生活を味わいました。それは問題の発生と克服をも意味します。ここにきて一段落ですが、少々疲れ気味です。自分の疲れと暗い世相。そんな中、今一番フィットするのが、「振り子の原理」です。

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2011年7月 5日 (火)

糸がほぐれるように・・・・・

もつれた糸がほぐれるように、腫れものが徐々にひくように、前半6カ月が終了したところで、私の行動が少し変わってきました。ここまでの仕事漬けから少しづつ外に向かって動くようになってきました。以下、この1週間の近況報告です。

1.M計画の終了・・・・・1月11日にスタートしたM社の社員研修が6月27日をもって予定通り終了いたしました。全26回、78時間。中間アンケートでいただいた意見をもとに若干の軌道修正を加えたことが節目となり、よかったようです。最終日には、社長とお世話くだされた部長から会食会の折、好意的な言葉をいただいたのは感激でした。

2.友人の勉強会に出席・・・・・我孫子市在住の会社時代の友人からお招きを受け、勉強会にゲスト参加しました。この会は、今年合格した産業カウンセラーの集まりで参加者7名が真摯に自己研鑽されており、私の話を傾聴してくれました。聞き上手にのせられて、自分の過去をその場で振り返ってしまい、感慨深いものがありました。この会の今後の発展を心からお祈りいたします。

3.バンドの「奥様感謝の会」第2弾・・・・・昨年に引き続き、バンドの練習の後、各メンバーの奥様が集合し、六本木の「アビー・ロード」へビートルズを聞きに行きました。バンドの練習自体も2カ月ぶりで新鮮でしたが、1年ぶりの奥様感謝の会も盛り上がっていい感じです。ただ、いつも話の中心になる盛り上げ役の奥様が怪我でこれなくなったというアクシデントがあり、そこだけは残念でした。

4.再就職セミナー・・・・・NPOの仕事で、K市の再就職セミナー全5回のうちの初回の講師を努めてきました。家を出て、携帯を忘れ熱い最中に普段の距離の倍以上歩いたため、衣服等ぐちゃぐちゃの状態で会場に入ってしまい周りの人に迷惑をかけてしまいました。セミナーの中身は得意の「自己理解」。手法は「OKコミュニケーション」を使うので、特別な準備等はなかったのですが、苦しい展開のスタートでした。

これから、まだまだ糸がほぐれます。ブログを書く機会も増えそうです。

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