東日本大震災
3月11日は、??すごい日になりました。私は、新宿のTA大学で、3年生に講義を行っていました。細長いビルの3Fで、もう講義が終わる時間帯に、東日本大震災が起きました。自分ではなんとなく揺れを感じたのですが、生徒の「地震だ。揺れている。」の声で、揺れが現実であると認識しました。波に乗っているような横ブレで、時間が長い。私が経験した関西大震災は縦揺れでしたが、長い横揺れは不気味か感じがしました。
ここから長い一日が始まりました。以下、時間軸で私のとった行動を振り返ってみます。
PM3:00 TA大学を出る。大地が揺れ動く余震に悩まされる。電車は全面ストップ。自宅とは、連絡とれず。
PM4:00 西口の喫茶店で休憩。避難場所となっている西口中央公園に移動。次の作戦を考慮。電車はPM7:00には運転再開するであろう、と読み、作戦を組み立てる。
PM5:00 明治通りを歩いて、渋谷に向かう。道すがら、目につく光景は、まさしく帰宅難民が溢れるTVでよくみる映像であった。まっすぐに歩けない。PM6:40に、ソフトバンクの店を見つけ、携帯の充電を実施。どこのコンビニも食料調達の客で満員。
PM7:00 渋谷着。立ち食いそばで腹ごしらえ。東急東横線渋谷駅で状況確認。カプセルホテルに行くも、満員の札あり。駅に引き返す。この時点で、JRは終日運航停止をアナウンス。どこも人人人、行き場がない。駅の構内も後ろに戻れないぐらいの人で、底が抜けないかと心配してしまう。ようやく、娘と連絡がとれ、家族の安否を確認。
PM9;00 地下鉄銀座線が運転開始。東急東横線は相変わらず復旧のめどなし、と案内される。
PM9;30 試運転を開始し、運航を始めるというアナウンスに拍手がおこる。しかし、それも30分後に、復旧のめどなし、と訂正される。30名ほどの警察官が整理に当たっているが手際が悪く、我慢の限界を思わせる怒号が飛ぶ。
PM11:00 東横線運航開始。
PM12:00 横浜駅着。タクシー乗り場へ。300人ぐらいの列。タクシーはほとんど来ない。横浜も人で一杯。
PM12:30 地下鉄で移動。途中ルミナの地下は温かく、ここなら一晩明かしてもいい、と思う。弘明寺へ。
PM1:15 弘明寺から、タクシーで、帰宅。道は大渋滞となっており、帰宅したのは、PM2:30。
大きな地震には違いないが、電気・ガスが止まり、通信が遮断され、交通手段がいとも簡単に止まってしまう、ことに、情けなさと苛立ちを感じます。いつも私が言っているように、このような対策にこそ税金をつかうべきです。地震計が壊れたなどと言い訳ばかりしている気象庁や後付けばかりの地質学の関係には、予算の割り当ては不要です。
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