90歳
8月に入り、義理の祖父が、90歳の誕生日を迎えようとしています。先日、子供一同とその家族が集まって、少し早目のお祝い会をしました。総勢14名が、我が家に集まり、なかなかの盛況でした。祖父は昨年の夏に肺炎を患い緊急入院。その後も危うい状況がありながら、いよいよ90歳の大台です。通信兵として戦争に赴き、マラリアで死にそうなりながら生還した筋金入りですが、さすがに年には勝てない。90歳まで漕ぎつけたことは、祝着至極です。
最近、110歳以上のお年寄りが、亡くなって30年後に発見されたり、行方不明になっている方が全国に7人いる、という報道がTVや新聞を賑わせています。私は母が56歳、父が82歳で亡くなった経験から、90歳代、100歳代、という世界は、遠い世界のように感じていました。しかし、いまや100歳という齢も現実的になってきた感があります。
年をとってはいても、溌剌として輝いている91歳のM先生のような人がいるかと思えば、介護の世話になり意識すらない人もいて、その様相は様々です。好きなことをやって、人に迷惑をかけないで、長生きして、コロっと死にたいと思うのですが、なかなかそうはいかないのが人生。ここにも自分一人では生きていけない、という教訓が存在しています。
気の遠くなるような高齢と考えていた90歳を身近に感じます。こんな感じははじめてです。私は、50代前半に大病を患い、そのときは、死というテーマで、自問対話しました。死が近くにある、生きることもいい見本がある。天才と馬鹿は紙一重、自信と傲慢は紙一重、と同じように、生と死は紙一重という気がしています。それ故に、毎日過ごしていることに感謝です。
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