年賀状
メールが市民権を得たため、近年、年賀状の数が減っているようです。私のような団塊世代の人間は、年賀状は出して当たり前という雰囲気の中で育ってきましたが、それも「一面の価値観」とされる時代になったようです。私は、写真産業にいた関係で、もう30年余り「写真ポストカード」を作って出すことが義務感のような感覚をもってきました。
年賀状というのは、その人その人の価値観を示す場でもあるように思います。私の場合、サラリーマンの現役時代は、一種の強迫観念で年賀状を出していました。返事も必ず書いていました。しかし、今は違う感覚があります。年賀状を出すのは、1)お世話になった人への敬意を表する意味、2)昔お世話になった人への感謝の気持ちの継続、3)年賀状友達への定期便、4)仕事関係のプロモーションの4つの意味があると思っています。
いつしか、年賀状の枚数も400枚余りとなってしまいました。減らしても増える分があります。はがき代、印刷代も馬鹿になりません。また昔のように手書きでは、重労働この上もありません。故に年末は気が重くなります。しかし、重労働に関しては、ITソフトがカバーしてくれます。以前は、前年来ていた賀状から喪中の分を除いて、未整理のまま書いていましたが、ITソフトのおかげで、住所録は今では整理されたものになりました。
今年、私は、我儘させてもらいました。「去る者は追わず、来るものは場合によっては拒む」です。前述の4つのケースに該当しない場合、私のほうから遠慮させていただきました。退社後2年4カ月経過し、ここがRESETのタイミングと考え、生まれて初めてこんな生意気な行動をとりました。その結果、自ら、呪縛を解いたという妙に開放的な気分に浸っています。こちらから出しても返事をくれない人がいると、以前は嫌な気分になったものですが、それも気にならなくなりました。出せなかった理由があるでしょうし、選択の自由はだれにもあります。返事がない人には、来年は出さなければいい。いったり、きたりの人もいます。波長がそのうち合うでしょう。消息を知りたくても、不明になってしまった人もいます。これも流れでしかたないでしょう。自分の価値観に基づいて、自由裁量の余地が広いのが年賀状の世界、と今は思っています。
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