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2009年5月

2009年5月31日 (日)

日本ダービー

5月31日(日)は、日本ダービーが東京競馬場で行われました。雨による不良馬場が影響してか、一番人気が惨敗し、二番人気と四番人気の組み合わせで、馬番連勝で、36.6倍という小波乱の結果になりました。二番人気から、四、五、六番人気へ流すのは私の得意な買い方で、久々に的中しました。優勝した馬は、ロジユニバースという皐月賞で一番人気で惨敗した馬です。距離とコースが変わって、リベンジというよくあるケースだと思います。

ダービーというと、32年前の結婚式を想い出します。5月29日が、我々の結婚記念日で、その日は、ダービーの前日でした。私は、結婚式の新郎という立場ながら、式の当日、出席してくれた仲間に馬券を頼んでいました。枠番連勝3-6、1着クライムカイザー加賀武見、2着トウショウボーイ 配当7.2倍。私は、この馬券を1点張りでとったので今でもよく覚えています。的中したからでしょうか、5月末のダービーになると、32年前を想い出します。

競馬には各レースごとに様々な想い出がありますが、ダービーは特別です。それは、ダービージョッキーと言われたいと願う騎手だけの専売特許ではなく、私にとっても特別なイベントなのです。

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2009年5月28日 (木)

社内突破力

今日のタイトル「社内突破力」は、6月に刊行される拙著のネーミングです。いよいよ大詰めに入って参りました。今日は、「社内突破力」の全貌を明らかにいたします。昨日確認したのですが、アマゾン・ドット・コムでは、すでに予約販売開始となっていました。

30歳代以上の会社員を対象に、「新しいアイデアを具現化するときに発案者の前に立ちはだかるカベとその攻略法について、徹底的な現場目線で語る」というのが本文の内容です。ネーミングは、社内のカベが最も最短で最大なことが多いので「社内」という冠がつけられました。(出版社のK氏の発案と私は解釈しています。) ここで敢えて申し上げますが、特定の会社や特定の個人に対する否定や批判は一切ありません。「社内」という言葉からマイナスのイメージを期待される方には空振りの内容です。読んでいただけばわかりますが、いつもの私のスタンスのとおり、すべて現状を肯定するところから入っています。

価格は1500円、部数は6000部。全国の書店で発売されるのが、6月29日。大型書店の店頭に並ぶのが6月22日、というスケジュールになっております。そして、アマゾンでは、すでに、予約販売の形で、UPされています。(アマゾンでご購読いただくとポイントがついて、BEST何位かに入ると増刷?などという話があります。) 本ブログの読者の皆様の積極的なご購読と豊かなご声援を私に下さい。それが私にとって最もモチベーションをあげ、パワーのもとになるオンリーワンの貴重なエネルギー源です。何卒、よろしくお願いします。

執筆に着手してから、約7か月強、1冊の本を出版するというのは、なかなか大変です。長期間に亘って、モチベーションを持続することが最大の課題ですが、私は書くこと自体が好きなことと出版社のK氏といういい相棒に恵まれたことで乗り切ることができそうです。先日の打ち合わせがほぼ最終で私の手からは完全に離れた形になっています。今は最後の詰めの段階で、本文にもある「100里の道も99里をもって半ばとす」という精神でゴールに飛び込みたい、と考えております。

最後はお知らせです。この「社内突破力」の出版記念パーテイーが、7月11日(土)に横浜で開かれることになりました。招待制にしておりますので、もし案内があなたに届きましたら、万障繰り合わせてご出席いただきたい、と願っております。よろしくお願いします。

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2009年5月25日 (月)

インフルエンザ

インフルエンザの報道がやや少なくなった気がします。鎮静化したんでしょうか?私が香港から帰ってきて、10日目の5月2日から、インフルエンザ騒ぎが始まったと記憶しています。豚インフルエンザということで当初は緊張したものの死亡率が限りなく0に近いということが分かった時点で、大きな恐怖はなくなったというのが一般的に妥当なところでしょう。

この問題について、3つの視点から考えてみます。一つめは、私個人の感覚という視点。インフルエンザに対する恐怖心は命まで取られるわけではないので薄いのですが、横浜市におけるインフルエンザ1号にはなりたくない、と正直思っていました。私は、冬の予防注射もしたことがないし、自分自身は運がいい、と思っているので、政府とマスコミが騒ぎすぎていながら、今になって国民に冷静さを求めているのには笑わざるを得ませんでした。

二つめは、今回は、SARSなどの超一級の疫病が入ってきたときの予行演習に見えるという視点です。ここまでの政府等の対応結果は×です。熱が出ていても、陰性となる空港での簡易検査、。その後の対応も、マスクや手洗い&うがいを奨励するだけで、国内感染は止められなかった。これでは、超一流の疫病が入って来たら、国中に蔓延し、助かるかどうかは運次第というお寒いかぎりなのが実体です。

三つめは、経済的な打撃が思った以上に深刻そうだという視点。神戸三宮は、昔私が営業を担当していた懐かしい想い出深いエリアです。その大好きな商店街が死んでいる。観光客が来ない、店や施設でキャンセルが相次ぎ、消費機能がストップしているようです。失った日々は帰ってこないから、日銭産業は大打撃となるでしょう。こういう所に国は税金を使って特別対策をしてほしい、ものです。

木、金、土と、3日間続けて、人混みの中に入ってきて、マスクをしている人が20%ぐらいという異様さを見ながら、「1つの出来事について最低3つの視点から見る。」という習慣を技化したい、と考えている私がいました。

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2009年5月21日 (木)

アジ釣り

季節良し、頃合い良しということで、久しぶりに、船釣りに行ってきました。昨年と同様、船釣りのスタートとして、対象はアジを選びました。アジは、釣りやすいし、家族が喜ぶというのが、その単純な理由です。

珍しく、朝5時30分に家を出て、片瀬江ノ島の「島吉丸」についたのが、6時20分でした。平日ですし、この時間なら、いい場所を取れると思いきや、全く思惑ははずれ、仕方なく、胴の間(側面真ん中)に陣取りました。なんと、客数は、29名で、私の知る限りでは、平日では、最高の人数です。10人ぐらいの団体が入ったことと、前日まで定休日や強風による欠航が相次ぎ魚が釣れる季節のため、客が殺到したようです。

釣り方は、ビシという重い籠の中に、ミンチを入れて釣るビシ釣りという方法です。久々で技化されていないため、ビシやロッド・キーパーのつけ方を間違えたり、前途多難の船出を思わせました。天候は晴れで、富士山が微かに見え、ベタナギで絶好の釣り日和でした。しかし、好事魔多し、です。不覚にも、酔ってしまったのです。ベタナギで酔ったのは、初めてでショックです。これも年のせいでしょうか?船に乗る前日は睡眠をきっちりとること、朝は何かを食べてくること、酔い薬を飲むこと、この3つをいずれも怠っていました。次回は励行するつもりです。

というわけで、楽しい釣行が、苦しいものになってしまいましたが、魚は、そこそこ釣れました。釣り場は終始同じ場所で、私は110Mに棚をセット。ほとんど入れ食い状態で、前半は他の人がサバばかりなのに私にはアジが、後半は逆に私にはサバばかりという変な展開でした。アジ8、サバ14、カレイ1という釣果でした。アジは37センチが最大でこれは私の最高タイ記録です。AM7:30から、PM2:00までの6時間半のうち、1時間はお祭りトラブル、1時間は船上睡眠でしたから、釣果としては、まあまあというところです。

魚は、アジもサバも卵を抱えているものが混じっていました。卵は、煮つけにして食べましたがなかなかの美味でした。

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2009年5月16日 (土)

NPOの運営

NPO-JCCAの江ノ島グループの運営体制が少し変わりました。江ノ島Gは、この3月で、丸3年活動を継続したと聞いていますが、現代表が代表辞退を表明したところから、話がややこしくなりました。本日の民主党の代表決定のように、立候補者が出て、選挙で決めるということであればすっきりするのですが、NPOという組織の特性上(企業との兼任による無報酬のボランテイア集団)、すんなりいかない、というところがありました。

結局、約1か月滑った転んだし、代表を慰留し、実質の運営は、副代表5名で行うという、ある意味、妥当な落とし所に落ち着きました。私は、江ノ島Gはこれまで役なしで、楽しみながら参加させてもらっていたのですが、今回、副代表として、末席を汚すことになりました。今までになく、新しいノートを作ったり、課題については少し意見を言うように、少しづつ自分のモチベーションを上げよう、と努力しているところです。

50人からの所帯に膨れ上がったNPOの運営は、中に入ってみると、なかなか悩ましいところがあります。最も感じるのは、NPOなるが故の本質的な問題です。ボランテイア精神で参加していながら、プロの集団としての品質を求められている、そのための指示権限、拘束権限は誰にもない、という点です。したがって、問題が起きた時の責任はどのようにとれるのでしょうか?企業勤めでしたら、辞表を出すというカードがありますが、NPOでは、辞表を出しても責任をとったことにはなりません。

今回、NPOの運営について、様々な視点より、責任という点について、私的に考えてみました。他のNPOの皆様は、責任という課題について、どう考え、どう対処されているのでしょうか?平時はいいのですが、緊急時にどういう対応ができるのか、どう責任がとれるのか、そこにリーダーの価値があると私は思っているのですが、思いこみが強すぎるのでしょうか?いまだに答えは出ていません。

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2009年5月11日 (月)

花のきれいな季節

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長い冬は、桜の開花とともに姿を消し、桜が散ると、様々な花が今が盛りと咲き乱れるのが今の季節です。朝の犬の散歩で、撮ってきた写真をこの機会にのせておきます。まさしく百花繚乱の世界です。

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2009年5月 9日 (土)

棋聖

昨日、TVのニュースで、藤沢秀行氏が逝去されたことを知りました。ほんの瞬間のニュースでしたが、一時代が終焉したような空虚な感覚に襲われました。藤沢秀行氏は、昭和の囲碁界の巨匠であり、その豪快かつ芸術的な棋風は、愛棋家からは、多大なる人気を博していました。囲碁界の一世を風靡した木谷一門の有名棋士のほとんどが秀行氏の影響を受けていると言われています。

私が囲碁を打ち始めたのが、昭和40年代後半でした。石田コンピュータや武宮宇宙流、殺し屋加藤などの打碁録を買いあさり、囲碁三昧の時期がありました。その時、プロ棋士のなかでも別格扱いだったのが、秀行さんでした。確か、第1回棋聖、第1回名人になっており、初物に強いと言われたように記憶しています。私の中での永世棋聖が秀行さんです。厚くスケールが大きい碁は魅力的で、碁が芸である、とよく言われていました。ポカをして、終盤よく逆転されることも愛嬌でした。

先日、めずらしくTVに出ていたのですが、昔の面影は消え、すっかりやせ細って別人のようになっていました。棋聖も年には勝てないと思いつつ心配していましたが、そんな折の昨日の訃報でした。飲み仲間でやはり大酒飲みで若くして亡くなった将棋の芹沢八段に比べれば80歳というのは天寿を全うしたと言えるかもしれません。

天才がまた一人この世を去りました。私は囲碁の愛好家としてここに慎んで哀悼の意を表します。合掌。

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2009年5月 5日 (火)

5/4の横浜中華街

5月連休の真只中、娘夫婦と孫を連れて、横浜中華街に行ってきました。いつもと違う展開がそこにあり、後学のための教訓となることもありました。

待ち合わせは、PM12:30中華街の現地としました。私と女房殿は、電車で現地に向かい30分ほど早く着いたので、どの店に入るか、ぶらぶら歩きはじめました。ところが歩きはじめてすぐに、いつもとは違う異常事態にある、ことに気が付きました。人の出が格段に多い。メイン通りは、立錐の余地がなく、まっすぐ歩けません。中華街の集客は、昨年の中国餃子の事件以来、盛り上がらなかったのですが、5/4はそんなことはどこふく風で異様な感さえありました。駐車場はどこも満車で、観察してみると、横浜ナンバーの車はほとんどありません。和泉(大阪)、浜松、沼津、多摩、練馬などで、外から人が入ってきていることが分かりました。

090504_132252 娘夫婦の車が駐車場に収まるのが、PM2:00.予定より、1時間半余計に時間がかかりました。食事の場所も、選んでいる余裕はありません。どこの店も長蛇の列です。いつも閑散としている店の前に人が並んでいる、私にとってははじめての光景です。結局、「珍味園」という店のオーダーバイキングにありつきました。「珍味園」自体の味やサービスは良くまた行こう、と思いましたが、この日はほうほうの態で、とるものもとりあえず、そのあと、「フラワーアートフェステイバル」のイベントを見学して帰宅しました。

090504_154619 TVでは、ETC1000円による高速道路の未曾有の渋滞や豚インフルエンザの発生による空港のニュースがメインになっています。どこを見ても、やはり人は多い。私のように、平日を有効に使える者は、連休は動かず仕事をしているのがいい、という経験則を再学習しました。中華街で言えば、夕方待ち合わせて、早めのデイナーとするのが、正解です。

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2009年5月 2日 (土)

作曲

江口洋介氏主演の「木枯らし紋次郎」をTVで観ました。昔、中村敦夫氏が扮していたあの「木枯らし紋次郎」のリバイバルです。連続ものではなく、2時間1回ものでしたが、私の興味をひいたのは、バックに流れてくる音楽でした。

上条恒彦氏ボーカルの昔の音楽がそのまま使われていました。この曲が出たとき、単調な音調をボーカル力で凹凸をつけ、盛り上がり部分とのアンバランスと詩の内容が気に入って、ギターの弾き語りを必死に覚えたものでした。確か、作曲は、小室等氏で、演奏は「六文銭」というグループではなかったでしょうか?第一作が、なにか賞をとった「出発の歌」で、2作目が今回の主題歌である「だれかが風の中で」であった、と記憶しています。

今回、懐かしいメロデーがそのまま、現代の放映の中で流れました。そこで改めて感じたことは、作った曲が、世に残るということはなんと素晴らしいこと、かと思いました。芸術というものはそういうところに価値があるのでしょうか?私自身の自作曲が、約30曲ほどあることも思い出しました。だれにも相手にされない曲ばかりですが、全部自演すると、1時間半ぐらいになるでしょう。

こう見てくると、私の中には、自分の生きた証を、なにかこの世に残しておきたい、という欲求があるように思います。24年前の自費出版本、今回の執筆、過去の作曲、パフォーマンスの数々がそれを証明している気がします。このブログの更新もこのような心理が働いているのでしょう。いい曲を創って、後世世の中の人が口ずさむというイメージは、最高のワクワクイメージです。

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