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2008年10月 5日 (日)

プロ意識と人間としての自分

昔、大阪泉州地区のセールス・マネージャーをしていた時、「私は商売人である前に1人の人間である。」を口癖にしていたデイラーの社長がいた。同様に、「企業人である前に1人の人間である。」という考えが私の根底にはある。清濁併せ呑む、という都合のいい言葉があり、企業人なるが故の自己矛盾に悩む場面が多々ある。自己の正義感、使命感、UPしたモチベーションと企業の方針、効率性、コストダウン、上司の保身との間で葛藤が起きる。矛盾の間で判断を下す時、原点となった考え方が、「企業人である前に1人の人間である。」ということである。本日のテーマは、「カウンセラーである前に1人の人間である」をとりあげる。ハローワークでキャリア・カウンセラーを生業としているY氏は、常時自分の状態をいいコンデションにおくことに心がけ毎日数人のカウンセリングをこなしていた。しかし、日々弱者救済という使命感を持ち続け、気を張った状態を四六時中続けていくうちに、ハローワークのノルマという現実やら新たに起こる難題が積もり、そこに膨大なエネルギーを費やした揚句、ついに油切れになってしまった。バケツの理論で言えば、バケツの中には水がなくなって枯渇している状態である。不安感が心を支配しモチベーションが急速に落ちた。Y氏はプロのキャリア・カウンセラーである。クライエントは必死な思いでカウンセリングに訪れる。それに対して、もしかすると人生における重大な方向を示唆するかもしれないのがこの仕事の宿命であり、常に現場は真剣勝負である。したがって、カウンセラーは常にいい状態(自己一致状態)で現場に臨み、ベストのカウンセリングをする、それがプロであり、そのマインドがプロ意識というものである。しかし、カウンセラーも1人の人間であることを忘れてはならない。カウンセリングはプロとしてきっちりこなすが、そこから解放された時は、1人の人間として、我儘言ったり、自己主張したり、多少人に嫌われたりしてもいいではないか?それは当然の権利ではないか?私はそう思ってきたし、企業人の時は、自ら実践していた。4日の私は、Y氏の話を聴きながら、こんなことを考えつつ、気がついたら終電まぎわになっていた。午後6時から、Y氏も含めた産業カウンセラーの良き仲間4人と横浜の西口地下「ライオン」で会食した。楽しくて時を忘れてしまったが、皆と別れた後もY氏とこんな話をしていた。Y氏はチャーミングな女性で有能なプロのキャリア・カウンセラーである。私はその能力と人間力を高く評価し敬愛している。早く立ち直って欲しい、と心から願うものである。

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コメント

表題とは繋がらないとは思いますが、僕の経験。
退職する前の十数年、仕事の一つにダンゴー
、というヤッカイでもあり、また、面白い?仕事をやっていました。
同業の連中とは、当然商売敵、ダマし合いの世界です。しかし、不思議なことに、気の合う連中もおり、よく一緒に飲みました。
お互い、仕事と個人とを使い分け、お互いそれを承知の世界でした。

今、基本的に何のストレスもない(ストレスのあるものは回避している?)生活で、小倉先生のように好きな仕事もないので、自由気ままに暮らすのが念願でした。
ちょっと長くなりましたが、
人生、生まれてから約20年勉学に励み?
次の30数年働いて家族を養い、残る〇〇年好きな生活をして、初めて人生のバランスが取れる
と先輩に言われています。

投稿: パスカル | 2008年10月 5日 (日) 18時11分

なるほど。パスカルさんの人生観がよくわかりました。好きな生活があっていいですね。これがない人もいます。だから働くんだって。聞いてて悲哀を感じる事も・・・。私の退職は少なからずパスカルさんの影響を受けていますし・・・・・。

投稿: 小倉克夫 | 2008年10月 6日 (月) 23時53分

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