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2008年10月

2008年10月30日 (木)

同期会

昭和47年同期入社事務系の同期会が今回横浜で開かれた。昨年の7月以来、1年4か月ぶりだ。ここまで、こじんまりとやっていた小田原のミニ同期会が発展し、話がどんどん大きくなって今回の形になった。今回は、さまざまな人たちが参加した。小田原ミニ会の新メンバーである技術系のD氏とO氏、5年半前に退職しカメラ店を経営しているI氏、富士宮同期でK工場の長であるS氏、当日欠席となってしまったが大阪から参加予定だったK氏などなど、珍しい面々である。この年になると、1回1回の同期会が1人1人にとって大きな意味をもつのかもしれない。ただ、私はというと、最近ではめずらしく、いま一つノリが悪い感じがあった。なぜだろう?自分なりに3つの理由に思い当たった。1つめの理由は、先日富士宮の同期会をしたばかりであり、小田原のミニ会も2か月に1回ある。しょっちゅうやっている感じなので、新鮮さと感激がない。久し振りに会うメンバーが半分ぐらいいるのだが、同期の気安さか、つい先日も会ったように錯覚しているのである。2つめの理由は、新しい出会いWelcomeな私だが、反面刺激を欲しているところがあり、同期会というのは、癒しにはなるが刺激はもうほとんどない。話題は過去のことが多いというところが、29日の私にはFITしていなかったのだろう。3つめは、1人づつ近況報告をする段で、なるべく多言しないような方針で臨んだこと。私の場合、いい状態の時はつい調子に乗って自慢話になってしまうのを避けたかった。いきなりトップで指名されたこともあり、ほんとに短い20秒スピーチで終わらせてしまった。ちょっとあっさりしすぎていたろう。まあそれはそれでいいのだが、1分間スピーチの近況報告のやり方は考えておくものだ、と思った。などなど、同期会も折々の気持ちと出てきているメンバーで変化するが、そんな感覚をもった横浜の会であった。こうやって書いているうちにノラナイ最大の原因に思いあたった。大阪で一緒に遊び、私が病を患ったときに、毎日電話で励ましてくれた親友のA氏が他界してこの場にいないことだ。「小倉、2次会行こうぜ。」という声が聞こえてくるようだった。

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2008年10月28日 (火)

相性

またとない秋晴れのすがすがしい朝で富士山がうっすらと見えた。久しぶりに、戸塚のスポーツセンターへ行くつもりでいたが、犬の散歩をしながら、あまりにも天気がいいので、急遽、妻と釣りに行くことにした。めざした場所は、あの本牧海釣り施設。シコイワシはよく釣れるがあまり過去いい釣果を得ていない相性のよくない釣り場だ。郵便局や銀行に寄り、弁当を買い込んで、現地に着いたのが、ほぼ12時であった。混んでいた。駐車場がいつになく満車寸前。釣り場に行ってみると、竿を出せる場所がほとんどない。ちょうどタイミングよく、帰ろうとしている人がいたので、桟橋の真ん中よりやや右に場所をとることができた。さっそく、妻は、サビキ、私は、カゴのタックルをつくる。私のほうのタックルは、作り上げるのに大苦戦。リュックに入っているはずのウキ止が見つからない。、そしてリールもブレーキの利かないものをつけてしまい、またカゴのサイズもちょっと違う。違和感がありながらもなんとか急造して、竿を出した。とその時である。妻の竿がポンと上に跳ね、20mの海底にジャポン。大きなサバにもっていかれたようだ。全く一瞬の出来事であったがショックである。これで、ケチがついたのか、小さな子魚のみがかかり、5;00までやったが釣果ゼロ。周りは、ボツボツ型のいいサバが来ている。タックル等どうみても初心者と思われる人たちがどうどうとサバをあげている。以前もみた現象の再現だ。ここは私には相性が悪いのか?いつもこんな感じである。5:00であきらめて、帰るとき、つなぎの通路桟橋ではアジの入れ食いが始まっていた。素人的なおばさんが、簡単なサビキ仕掛けで、アジをダブルで釣るのを見て、さすがの妻も「今日は悔しい。アジは釣りたかった。」とコメント。私としては、ここで引き下がるわけにはいかない。次回は、タックルをしっかり用意して、リベンジをめざそう。本牧を得意な釣り場にする、という新しい課題が発生した。目標志向の私としては、なんとかこの課題を達成し、より豊かな釣りライフを営めるようにしていきたいものである。

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2008年10月27日 (月)

円高・株安

米の金融不安に端を発して、連日信じられない勢いで、円高・株安が続いている。株安については、本日(27日)バブル崩壊以来の最安値をつけた。全世界的な株安傾向である。株をやっていた友人の顔が浮かぶ。昔、囲碁仲間だったS氏、富士宮同期のHさん、親戚のS氏、毎日気が気でないのでは、と思う。私は、かれこれ25年前に株からは手をひいた。株取り引きスタート時、30万円を、200万円ぐらいまでにもっていった。親戚筋もかなり儲けさせた。しかし、湾岸戦争に乗じて買った小松建設という株で大損。そこできっぱりやめた。したがって、今回の株安現象では直截的な被害はない。問題は、もうひとつの問題、円高のほうだ。シテーバンクと取引して以来、小遣い稼ぎで、為替を運用していた。シテーバンクの預金の全額を、ドルにしていたが、今年一瞬の隙に、1/3は、円に換えた。しかし、残りの2/3の平均単価は、107円。まあ、3年ほど塩漬けにしておけばいい、と思いながらも、今日はとうとう93円台になり、心中はあまり穏やかではない。毎日2円に近い値動きで円高が進んでいる。石油が上がり、かつ円高傾向のときに、日本のエコノミストが、93円台まで落ちる、と言っていたのを聞いて、いつも当たらないから内心そこまで高くならないとタカをくくっていた。これがとんだ見込み違い。自分の責任だからどうしようもない。金融市場を展望するに日本のファンダメンタルだって決して強いものではない。公的資金注入を経験しただけで、本質的な問題は解決していないと私はみている。即ち、そんな円が過大評価されているぐらい、他の金融状況が悪い、ということであろう。90円割ったら、ドルを買い戻して、ナンピンをいれるかどうか、迷っている。それよりもなによりも事態はもっと深刻なのであろうか?

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2008年10月26日 (日)

本の出版

一昨日出版社S社K氏から本の出版の話が本決まりになったと連絡を受けた。最初の打ち合わせから、たったの18日、K氏によると、異例の超スピードだそうだ。今回の出版にこぎつけるまでの道のりに、私は非常に不思議な縁を感じる。8月のコーチングの勉強会で、M氏と隣り合わせになった。これが第一の縁。1:1でコーチングをするのだが、私のパートナーになったのが左にいたM氏。右の人と組んでいたらこの話はなかった。これが第二の縁。そのコーチングのテーマを何にするか、私はちょっと悩んだ挙句、来年の自分の目標をテーマとして選んだ。これが第三の縁。そこでM氏のコーチングを受け、本を出す、という目標が明確に私の中からでてくる。M氏は私の話を受けて2つの提案をしてくれた。本のネタをまとめて1か月以内にM氏に提出すること、そこまでやったら出版社を紹介するという。これが第四の縁。そして紹介してもらったのが、今私が大好きなS社のK氏であった。これが第五の縁。K氏は人をのせるのがうまく才気煥発でチャーミングな女性編集者であるが、その能力、実力共に秀逸であった。私をうまく導き、企画案を練り、18日間で、企画づくり、私との打ち合わせ、編集会議、部門会議、全体会議と難関を1つづつきっちりクリアしたのである。これは私にとってはうれしい驚きであった。そして、まさか今年中に出版の話が決まるとは思っていなかった。ラッキーである。本の内容は、私の新規ITビジネス開発時代に起こった様々な体験が主になると思う。当時、苦い思い出が多々ありで、「小倉さんは逆境に強いね」なんて逆に落ち込むようなコメントを言われたことを思い出す。しかし、めげず、逃げず、経験値をあげる、という考えで得もいえぬ経験をしてきたことが、こんなところでいきるとは思わなかった。執筆活動は、11月中旬より、3月中旬の4ヶ月間、T税理士から頼まれている講演が終わってからということになろう。来年の前半は、ここに集中することになるが、他の仕事を犠牲にしても、いいもの、世のため人のためになるものを全力で書いていきたい、と考えている。気分は最高。これは私にとって今年最大の快挙と思っている。そして、M氏、K氏との出会いと縁に改めて感謝!!

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2008年10月23日 (木)

愛犬「モナカ」

このブログははじめて約半年になる。ここまで様々な事をとりあげてきたが、生活の中で近い存在ながら取り上げていない事があった。愛犬の存在である。名前は「モナカ」といいメスの黒ラブラドール3歳である。私の犬歴は、このモナカで4頭目。結婚後では、2頭目。1頭目はゴールデン・レトリバーのオス(名前は、「アズキ」)で、非常に飼いやすい家族的な犬であったが、残念ながら6歳で亡くなってしまった。2頭目のモナカは、良くいえば天真爛漫、悪く言えば野生のFCむき出しで、実はここまですでに3年経っていながら、まだまだ人間が持て余している状態である。昨年までは、試しに外出時連れて行ったりしてみたが、すぐ吠える、暴れるので、とても人前に出せる状態ではなかった。ある意味、一緒に外出して、遊ぶことなどはあきらめていた感じだ。春の花見に連れていったぐらいでそれ以後一緒に出かけた記憶がない。まあ、メタボ対策の散歩での貢献ぐらいでしょうがない、という思いであった。前の「アズキ」と比較すると性格も行動も全く正反対なので、気長に見守るというスタンスでいた。たまたま、今日(10/23)は、妻と久里浜のフラワー公園へコスモスを見に行こうという話になった。午前中うみかぜ公園に寄って釣りをしていこうということになり、モナカを久し振りに車に乗せて行ってみた。するとどうだ?意外や意外。海辺でおとなしくしているではないか?最近、少しは変わってきたようには見えていたが、まさか海辺で吠えないでいる愛犬が今日見れるとは思わなかった。ちょっとした感動である。どんなことでもラベルを貼らずにトライしてみる価値がある、と改めて教えられた。結局、天気予報どおり午後から雨となったので、サバ1匹の釣果のみで、久里浜のコスモスはあきらめた。が、思いがけない愛犬の進境著しい状態を看て、今後遊びに連れていくことも多くなるであろう、と妙にワクワクする私であった。

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2008年10月22日 (水)

社長の応援団

「社長の応援団」というコミュニテーが発足した。言いだしっぺは、大手人材会社NのM会長である。社長経験者が集まって、NPO活動を目論む。私は、以前からM氏より声をかけられ、有難く参加の意志を表明していた。10月21日が初会合である。私は例によって新しい出会いを期待しルンルン気分で新橋のN社へ出かけた。集まったのは、私を含めて5名。リーダーのN社会長M氏、元F建設社長F氏、元I商事関連会社社長MA氏、元N海運社長O氏、錚々たるメンバーである。。当然ながら私が一番若い。F社在職中は長老格であったのが、一挙に最年少となった。こういう世界がまた楽しいのである。M氏、O氏、F氏の3人は、元が鉄鋼会社Sで、S社と取引があったのが、MA氏という関係であった。そういう意味では私だけ異色のような感じであるが、逆に仲間に入れてもらえたことはウエルカムである。どういう活動をしていくか?基本的考え方は?など、打ち合わせは、滞ることなく進んだ。決まったのは、会の名称。「社長の応援団」。企業の社長を支援するグループという意味であるが、昔の漫画で「花の応援団」というのがあったのを思い出す。親しみのある面白いネーミングだ。その後、近くの居酒屋で親睦の飲み会となった。一国一城の主をはっていた人達だけに、引退したとはいえ、皆個性的なオーラを出す。ゆったり余裕を感じさせながら、本質は鋭く掴む、この部分は共通のように思う。ただ、言い方、アプローチの仕方、ゴールに至る戦略などに、個性が出る。当日はブラジルやタイなどグローバルな話が多く、そこに新鮮さを感じた。普段ではなかなか聞けない話であり、いままで私がまず意識していなかった点である。今後、視点の1つに加えていきたい。当面、月1回会合を開くということでスタートした「社長の応援団」であるが、今後の展開が楽しみである。

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2008年10月21日 (火)

国家試験

キャリア・コンサルタントが国家試験になる。今年から始まる。10ぐらいの団体が養成講座と試験を実施しキャリアコンサルタントの資格を発行している。、能力にバラツキがある、というのがそもそもの発想で、資格をとっただけで、技能レベルの低い者、ペーパードライバーが多い、というのが検討の発端になったやに聞いている。実務経験年数が3年以上という受検資格がある。私は今回は受験資格がないと思っていたが、企業の人事部で相談業務をやっていればOKということ。さればM社時代の社長業務による全般的な人事労務管理は充分該当すると専門家から聞いた。さらに、特別講習を受けると、学科試験は免除されるという情報をキャッチ。ということで、実技試験だけならやれそうなので今回受検することにした。20日は、その学科免除の特別講習の最終日で私がすべりこみエントリーした日であった。大門の退職金機構ビルの8Fに、AM9:45に訪れると、約150名ほどの受講者がいた。江ノ島の仲間も3人来ていた。教科書を渡され、10の項目について講義形式で進めていく。PM3:30で講義終了し、筆記試験となった。内容は話を聞いていればできる問題で、ラインは70点以上。予想通り、全員合格となった。我々受検生にとっては、これでいいかもしれないが、なにか心の中を寒風が吹きすさぶ。その1:国家試験にする意味がFITしない。こんな事に時間と金を使う以前に、厚労省はもっとすべきことが多々あるだろう。その2:形式だけの学科試験免除はビジネスの臭いがする。私は学科免除の権利を金で買った、という気がする。その3:経験年数云々を言っているが、ハローワークなどに勤めている人ばかりが対象ではないはずだ。もっと一般に門戸を開き、人事経験者だけではなく、広くあまねく人材を集めるべきだ。それが優秀なカウンセラーを育てるもっとも有効な手段と思う。最近は秋晴れの晴天が続き、すがすがしい気候を満喫しているが、このキャリア・コンサルタントの国家試験には、バタバタ感と不納得感、そして非優先感を感じる。しかし、そうは言いながら職業上受検しようとしている私がいる。

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2008年10月19日 (日)

PC

PCを買い替えた。今のままでもそう不便ではないのだが、PCを買い替える気になった。理由は2つ。1つは、PCのスピードが遅くて、音がうるさいこと。5年前に、埼玉のK's電気でプライベート・ブランドの安いPCを買い、ソフトは自分でインストールして使っていた。最初は良かったが、さまざまなソフトを入れているうちに、いつしか動作も鈍くなり、音もうるさくなり、使い勝手の悪いPCになってしまった。IT産業で働く上の娘からは、「遅すぎてすごく使いづらい」と言われるのはまだいいとして、デジタルとは無縁の下の娘から「遅くて使えない」と言われたのはショックfであった。私にも親としてのプライドもあるから。2つめの理由は、税金対策。私の仕事は来年どうなるかわからないが、今年このままいくと税金を思いのほかとられそう。故に仕事で必要なものは今年中に導入しておこうという考えである。幸い、次女の夫(義理のムスコ)は、PCを作る側で、この方面のプロなので、メカパニック症候群の私は、ちょうど訪れていた彼を帯同して、近くのコジマとヤマダへ行ったものである。メールいのちになっているので、メールが快適に使えることと、PCのスピード、音の改善を必要条件とした。当初は旧いPCと新PCの双方で、通信できるように構想していたのだが、スペースの関係で難しそう。そこまでしなくてもいいのでは、という結論になった。この業界は相変わらず変革が早い。PCがモニターと一体になっていて、マウスやキーボードがワイアレスな富士通のFMVをヤマダ電機で購入した。私のPC歴は、14年前MACのパフォーマから始まり、Windowsの最初は富士通のFMVであった。その後、NEC,K'sのPBを経て、富士通に戻ってきた感じだ。会社では、ソニーのVaio、IBM、松下などを使っていた。富士通は幹部に知人が多いので何かあったときの安心感と今日までの恩義をも感じている。ムスコの勧めがあって、いままでしたことのない5年保障という契約も付加した。家に帰って、ムスコにセッテイングしてもらい、無事新環境でスタートすることができた。ただ、セッテイングは思いの他苦労していた。私がいろいろな要求をだしたからである。スピード、音ともVeryGoodで、今回購入にめずらしく意見があった妻もご満悦の様子である。しかし、例によって、すべてパーフェクトというわけにはいかない。今回のPCには、なぜかパワーポイントがついていない。信じられないのだが、これには対応しないと、仕事に影響する。マイクロソフトの販売方針が変わったのであろう。データの整備と移管など、これからやらねばならないことは多々あり、しばらくPC2台体制でやっていくことになりそうだ。

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2008年10月18日 (土)

過去・現在・未来

コーチングのスキルの中に、「視点を変える」というのがある。物事を1つの視点から視るのではなく、様々な視方をしてみよう、というスキルだ。その中で、「過去、現在、未来」という視点は、もっともよく使うものの1つである。17日(金)の私の行動をこの視点で追ってみよう。PM1:30に家を出る。まずは「未来」の視点。出版の件で、S社のK氏から、コールがあり、喜んで会いにでかける。K氏とは、会ってまだ2回目であるが、もう昔からの知己のような感じがする。とにかく、うまく話しを引き出してくれる。K氏がポンと言葉を私にぶつけてくると、私はすぐに何かが閃くというメカニズムができたようで、話をしていて楽しいし、ついつい能弁になってしまう。今回の企画は、いい感じで推移している由。来週可否が決まるようだ。決まれば、至上の喜びだが、100里の道も99里をもって半ばとす、という諺もある。さてどうなることやら?K氏のつめの手腕と運にまかせて果報は寝て待とう。次は「現在」の視点。六本木のTMTでJ社のITフェアが開催されており、PM4:00に会場入りする予定であった。K氏との話に夢中になって、着いたのが、PM4:30。S社長をはじめとして関係者が揃っており会社としてこのイベントに力を入れているのがよく判る。担当は、ST執行役員で、コンセプトの作り方やレイアウト、見せ方など、手馴れたもので、さすがである。いつもお世話になっているN部長やCTP卒業メンバーもほぼ全員出動していた。私としては、今年もっともお世話になったJ社がイベントに成功し売上アップにつながることを望んでやまない。ラストの締めは、「過去」である。私の同期のSH氏が定年で子会社を退職することになったのだが、SH氏の元部下で私の元部下でもあるN氏が宴を企画してくれた。N氏は、私が新規事業の市場導入をする時の、営業課長として企画力と部下育成能力に特に優れ全社的に始めてのモジュール・ビジネスを成功させた有能な企業戦士である。ところが営業を離れて以来、ありあまる才能を発揮できていないもどかしさがある。全く勿体無い話だ。一方、SH氏は、同期のなかで、もっとも雄弁な男で、かつ人気者である。話を聞いていても、屈託がなく、プラス発想がすがすがしい。2人とも過去に出会い、あるタイミングでは、同じ歴史を歩んできた同士である。話も過去の話にどうしてもなってしまうが、過去があって、現在があって、未来がある。1本の線でつながっている。やはり、天から生かされている。改めて、そう思い、過去、現在、未来をみた1日であった。帰宅は、PM11:00過ぎであった。

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2008年10月16日 (木)

企業内カウンセリング

J社との契約による企業内カウンセリングが15日スタートした。中心は、メンタル・ヘルスとなろうが、コーチングも取り入れ、あらゆる相談が受け得る形態とした。私得意のコーチング・セラピーの世界である。J社で、メンタル・ヘルスの企業対策の講習会を実施したのが、6月であったが、短期間で、この分野に注力し、仕組みを作った経営陣と推進スタッフに敬意を表したい。カウンセリング・DAYは、1ヶ月の第三水曜日のPM2:00から5:00までと場所は人の出入りが見えない別室を用意してもらった。また、職制を抜いて、私のほうに直接申し込む方法をとり、徹底的に個人情報を保護するような仕組みにした。11日の土曜日に全社員に発表し、休日2日間、そして平日の次の日のスタートであるから、当然と言えば当然なのだが、来談者は残念ながら0であった。しかし、システムが機能するためには、半年から1年かかるのは、過去実証ずみであり、これからどうやっていくかが最も大事なところである。折角、いい仕組みを会社が作ったのであるから、従業員は使わないと損だ。従業員への周知、このプロモーション活動がポイントとなろう。私はいつも意見を言いたくなるのだが、今回は、J社の運営や戦略を極力尊重して、温かく見守るつもりである。プロセス・コンサルテーションの考え方でいけば、第三者しかみえないことを言いながら風土を変えていくということを期待されるのだが、今回は会社の流れに任せていたほうが、いい方向にいく、という気がする。H部長以下のスタッフが大変思慮深く、社の現実を踏まえた上で、徐々にステップアップしようという堅実な戦略がみえるからだ。私のほうは、カウンセリングに集中し、とにかく来た人を助けることに全力を尽くしたい。

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2008年10月13日 (月)

富士宮

081010_081902 10月9日、10日と1泊2日で箱根方面へ車ででかけた。9日は、F社富士宮工場時代の同期会で箱根の仙石原に10人集まった。昭和53年から約8年間、私は富士宮工場に所属し、生産管理業務や設備投資に絡む建設班の事務局業務を担当していた。工場はご多分に漏れず、技術系が多く、事務系の活躍場所は少ない。今回集まった10人の内訳は、技術系8人、事務系2人。最年少は私で、現役バリバリが3人、他は退職後再雇用や関連会社勤務などそれぞれの道に進んでいる。私のようなパターンの同類組はいなかった。私自身は富士宮の同期と会うのは恐らく23年ぶりであり、なかには変わったなと思う人もいたが話をしているとすぐ昔に戻ってしまうから不思議である。宿の近くのちょっと粋なところで宴会は行われ、どんどん昔のことを想い出したものだ。夜歩きが寒く感じたが、宿に戻って、本当に久しぶりに、将棋や囲碁に興じた。この団塊の世代は、囲碁、将棋、麻雀などで遊んだ世代である。楽しいひとときであった。翌日の10日は、皆と別行動になった。国府津まで出て、女性3人とおちあい、富士宮勤務時代の元上司M氏の墓参りにでかけた。女性3人とは、M氏の奥さん、同じ職場であったCさん、Fさんである。CさんもFさんもM氏には可愛がられ大変世話になったと感じており、今回この企画を発案してくれた。渡りに船、感謝、感謝である。M氏のマネジメントの考え方は実は私に大きな影響を与えている。私は少なからずマネージャーとしてやってこれたのも、今日の仕事のベースになっている現場力もM氏から学んだと思っている。会社に入ってからの人生の師である。H15年に急逝され、告別式には参列したものの何か未完了感を感じていた。小山のもっとも高台にあるM氏の墓参りをし、奥さんから自宅に招かれて貴重な話を聞かせて頂いた。今更ながら、M氏夫婦は理想の夫婦だ、と思わせる逸話が多々湧出。改めて敬服の感を強く持った。この2日間、富士宮の関連で繋がっているのも偶然にしては不思議ではあるし、2日後の10月12日は、M氏の命日であったのも何かの導きなのであろうか?心の中に燻っていた未完了を完了させたスッキリの2日間であった。

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2008年10月12日 (日)

1日○○研修

9月11日、朝6時半に家を出て、JR湘南ライナーに乗るも、座れる状態ではなかった。3連休の初日だからであろうか、私の見込み違いである。「やる気をひきだす人づくり」研修の3回目、第5セッションから第8セッションまでのM社では初めての1日研修である。30分ほど前に着いて、進め方や資料の再確認をするつもりであったが、到着は、ギリギリ。まるまる2時間半かかったことになる。加えて、昨日の箱根の不摂生か、めずらしく風邪をひいたらしく、今一の体調であった。テーマは、自己理解とセルフ・ブランデイング。午前中のセッションは、キャリア・マネージメント、ニーズと価値、360℃OKメッセージのフィードバック、午後は、基礎的な傾聴とセルフ・ブランデイングである。計7時間の長丁081011_143039 場であったが、17名のメンバーはよくがんばってついてきてくれた。3連休の初日の研修なんて嫌なものであるが、M社のメンバーはだれ1人として、愚痴を言わない。皆が生き生きしている感じがする。昨今、雰囲気の悪い会社を多々見てきているので、M社は不思議な感じである。社内の人間関係も良好のようである。M社の特徴は、アナライザーの比率が高いのと一人一人が資質的にオンリーワンを持っているということだ。オンリーワンに気づき、前向きのエネルギーを湧出させるのも本研修の重要な目的である。いま、1/3が終わった段階であるが、この目的は達成できそうなモチベーションを感じる。17人のメンバー達は、今回のような研修に面食らっているであろう(他ではやっていないであろう。)が、研修の間、気付き力を研ぎ澄まして臨めば、必ずや人生の中で役立ち有効に機能する「なにか」を得られると確信している。この研修はこれから佳境に入るがなんとも楽しみなナイスガイ17人衆である。と同時に、彼らの人生の大事な時期に、彼らと巡りあい、かような形で関わっていけることに喜びを感じている。終了後、カウンセリングを2人実施したが、そこでも私のほうが幸せ感を味わっていたような気がする。帰宅したのは、PM8:00過ぎであったが、体調が悪くてもまあまあこなせたことが栄養になりそうだ。

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2008年10月 8日 (水)

太極拳

戸塚区が主催している太極拳の講座(全部で10回)が本日スタートした。毎週水曜日午後の講座を申し込んだが、すでに2回は欠席することは決まっている(J社のカウンセリングの日と重なるため)。私は、地方自治体が企画したイベントにほとんど出た事はないので、今回の太極拳はどういうふうにやるのか、全く予備知識なしで興味津々で行った。総勢150名強で、うち男性が約50名であり若老人がほとんど。場所は体育館で、先生が7名。ストレッチ体操がスタートとなったが、私自身はこの瞬間にある種の感慨に浸っていた。体育館の感触っていつ以来だろう。すぐ思い出したのは、F社の富士宮工場の体育館である。バレーボールをしている自分、バドミントンをしている格好いいFさんが頭に浮かんでいた。そして次に去来したのが、三鷹高校の体育館。もう42年も前になるが、剣道部に在籍していた私が剣道の試合を見学している場面を思い出していた。最後は、もっともっと小さいスペースだが、下は板張り。極真空手の沼津道場と本部道場に私がいた。すごく懐かしいいい気分になってしまった。太極拳は、まあそんなに苦労せずに覚えられるだろう、と鷹をくくって行ったが、予想は見事にハズレ。約8割の人は、前の企画でも参加したいわゆる常連らしい。ゆっくり手足が動くのだが、何をやっているか、さっぱりわからない。どんな事でも簡単ではないのだ。見本の先生の動きを見ているとしなやかで全く無駄がない。ついつい見とれてしまった。メタボ対策ではじめた太極拳であるが、私なりにがんばってみよう、と思う。先生のようになりたい、というモチベーションである。ただ、それなりのレベルを得るまでは、しばらく苦労と我慢がいりそうである。

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2008年10月 7日 (火)

柳の下のドジョウ

2匹目のドジョウがいるかも、と思い、東京版に引き続き、神奈川県の高齢者雇用フェスタ2008へ新しい気付きを得るために行ってみた。会場は、横浜市開港記念会館。はじめて行くところである。久しぶりに横浜から地下鉄に乗って10分ぐらいで現地に到着した。スタートは、PM1:30で、例によってお偉いさんの挨拶が2つあり、基調講演となった。ノンフィクション作家の加藤仁氏の講演であったが、私にとっては、残念ながらハズレであった。氏は、ライフワークとして様々な高齢者をインタビューし、現場のリアルな話が聞けたのであるが、聞いていて眠くなるのだ。講演は得手ではないようだ。途中で、周りを見回したら、90%の人は寝ていた。後ろからは鼾が聞こえてきた。私は、現場の話というのは、最も迫力があって人の心をうつものという考えをもっているが、その場合でも、人をひきつけるスキルはもっていなければならない、と思った。文節を短く切ったり、抑揚をつけるということは必要である。続いて第二部は、5人によるパネルデスカッションで、1週前の東京後楽園でのやり方と全く同じであった。しかし役者が違う。荒俣宏さんのように独特の視点で話す人がいない。悪くはなかったが、まあこうなるだろう、という感じで終了した。時間はPM4:30であった。2匹目のドジョウはいなかったわけだ。そう毎回旨くいくわけもなし、たまにはハズレもないとかえって恐ろしくなる。これで丁度いい。

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2008年10月 6日 (月)

新しい出会い

Strengths Finderの5つの資質のうち、私のTOPは、「社交性」であった。社交性というのは、人との出会いを大切にし、新しい人と知り合う事に無上の喜びを感じる、というちょっと変った資質である。この資質がTOPに来たのには今ひとつ腑に落ちないところがあるが、私は、今まではじめての人に会う時、いつもワクワクするのは否めない事実である。今日は、ひょんなことから幸運に恵まれて、出版社のS社へ出向き、K氏と本の出版の件で、打ち合わせすることになった。K氏とは初めての出会いで、ワクワクしながら訪問。メールで連絡をとりあってはいたが、会ってみるとK氏はキュートで可愛く、聡明で話し易いムードをもった素敵な女性であった。年は私の長女と同じ、いわゆる就職氷河期で苦労した年代だ。大学は私の早稲田の後輩ということで益々いい感じになった。親と子みたいな取り合わせだなと思いながら、すっかりいい気持ちになってしまった。K氏のうまい質問にものせられて、今日はカウンセラーなのにしゃべりすぎた感じである。結論は、K氏がテーマを2つに絞って企画を練ってくれる、という。私の来年の目標は、本を出版することと決めているので、ここで実現するとなると至上の幸福である。用意していた過去の著作物、23年前自費出版した「自己認識の出発」、タウン誌「新松戸」のコラム、2008年グローバルマーケティング学会での発表論文なども示し、ほとんど言いたい事は言った。後はS社内の企画会議で○がでるか、×がでるかだ。いつものことであるが、等身大の自分がやることはやった、後は天命を待つだけ。明鏡止水の心境である。願わくば、S社に採用され、ベスト・セラーを出して、K氏と喜びを分かち合い達成感を共有したい、と思っている私がいた。結果がどうあれ、今日も新しい良き出会いを天から授けられたと思う。立場が違うが1年前N社のM社長と知り合った時と似た感情が私の中で湧いている。

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2008年10月 5日 (日)

プロ意識と人間としての自分

昔、大阪泉州地区のセールス・マネージャーをしていた時、「私は商売人である前に1人の人間である。」を口癖にしていたデイラーの社長がいた。同様に、「企業人である前に1人の人間である。」という考えが私の根底にはある。清濁併せ呑む、という都合のいい言葉があり、企業人なるが故の自己矛盾に悩む場面が多々ある。自己の正義感、使命感、UPしたモチベーションと企業の方針、効率性、コストダウン、上司の保身との間で葛藤が起きる。矛盾の間で判断を下す時、原点となった考え方が、「企業人である前に1人の人間である。」ということである。本日のテーマは、「カウンセラーである前に1人の人間である」をとりあげる。ハローワークでキャリア・カウンセラーを生業としているY氏は、常時自分の状態をいいコンデションにおくことに心がけ毎日数人のカウンセリングをこなしていた。しかし、日々弱者救済という使命感を持ち続け、気を張った状態を四六時中続けていくうちに、ハローワークのノルマという現実やら新たに起こる難題が積もり、そこに膨大なエネルギーを費やした揚句、ついに油切れになってしまった。バケツの理論で言えば、バケツの中には水がなくなって枯渇している状態である。不安感が心を支配しモチベーションが急速に落ちた。Y氏はプロのキャリア・カウンセラーである。クライエントは必死な思いでカウンセリングに訪れる。それに対して、もしかすると人生における重大な方向を示唆するかもしれないのがこの仕事の宿命であり、常に現場は真剣勝負である。したがって、カウンセラーは常にいい状態(自己一致状態)で現場に臨み、ベストのカウンセリングをする、それがプロであり、そのマインドがプロ意識というものである。しかし、カウンセラーも1人の人間であることを忘れてはならない。カウンセリングはプロとしてきっちりこなすが、そこから解放された時は、1人の人間として、我儘言ったり、自己主張したり、多少人に嫌われたりしてもいいではないか?それは当然の権利ではないか?私はそう思ってきたし、企業人の時は、自ら実践していた。4日の私は、Y氏の話を聴きながら、こんなことを考えつつ、気がついたら終電まぎわになっていた。午後6時から、Y氏も含めた産業カウンセラーの良き仲間4人と横浜の西口地下「ライオン」で会食した。楽しくて時を忘れてしまったが、皆と別れた後もY氏とこんな話をしていた。Y氏はチャーミングな女性で有能なプロのキャリア・カウンセラーである。私はその能力と人間力を高く評価し敬愛している。早く立ち直って欲しい、と心から願うものである。

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2008年10月 3日 (金)

サバ爆釣

081003_135833 昨日から、秋晴れの晴天が続いている。外に出て歩くだけでも気持ちがいい。今日は、仕事の予定も勉強会もセミナーもない。となると、アウトドアでこの季節。そう!数少ない絶好の釣り日和である。秋は、青物の季節であり、この時期は、最高に釣りが面白い。という訳で、横須賀のうみかぜ公園に調査釣行に出かけた。途中の店で、青イソメ、エビ、アミコマセを買い、現地到着は、AM9:30。まずは、3M60の投げ竿による投げ釣りからスタート。結構人はいる。まっすぐ投げないとお祭りしそうな距離でやっている。周りをみても釣れていない。30分頃経って、いよいよカゴ釣りの準備を始めた。竿は、シマノの4号磯竿5Mもので、1年以上前にカゴ釣りのために購入して、本日初使用となった。カゴ釣りは、コマセをカゴに入れて、大きなウキをつけて遠投する。魚がかかるとウキがストンと消える。私の大好きな豪快な釣りである。ただ、仕掛けをつくるに時間がかかるのが難点だ。そして、今日は、いつも持ってきていたウキ止めがなぜか紛失。小さいものなのだが、これがないとカゴ釣りができない。しょうがないので、リールの糸を切って、簡易のウキ止めをつくって、さあやろうと思ったら、リールに糸がきちんとかかっていない。もう一度やり直して(仕掛け作りで約30分)、仕掛けを海に投入。すると、即ストンとウキが消えた。上げてみると、30センチのサバである。その後、入れ食い状態がしばらく続いた。ただし、釣れているのは私だけ。3年前と同じ状況だ。まず、遠投する必要はない、棚は約2M。これだけで、サバがビシバシ釣れる。11時半ぐらいになると回りの人もサバをあげるようになった。今年はどうやら久しぶりの堤防釣りの当たり年のようだ。3年前の再来であり、今年は楽しめそうである。結局、PM3:00までやって、サバ29~32cm9匹、メジナ25cm1匹が本日の釣果で、持っていった小さいクーラーバッグは満タンとなった。ただ1つだけ、解せない事があった。5Mの4号磯竿なのに、どうも距離がでないのだ。今日は、手前10~20Mが漁場だったので、OKだが、飛距離をださないと釣れない時は困る。そう思いつつ、竿をしまう時、糸が全部の穴にきちんと通っていないことを発見。こんなことに気がつかずに、サバを爆釣してしまったノー天気な私ではあった。

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2008年10月 2日 (木)

高齢者雇用フェスタ2008

081002_150638 時間があったので、「高齢者雇用フェスタ2008」というイベントに朝から出かけていった。主催は高齢・障害者雇用支援機構で、場所は東京ドームプリズムホール。このイベントは今回初めて出席してみたが、結果的には今日も楽しく充実した1日になった。行ってまず驚いたのは、ラフな普段着は私だけで、周りは、黒や紺の背広だらけ。さすがの私も浮遊感があって落ち着かず。また、この種の○○機構や行政法人、独立行政法人の多いことにも驚く。とても仕事が重複せずに区分されているとは思えないような数と似たようなネーミングだ。式典の後、養老猛司氏の「こうして磨こう 高齢期の”現役力”」の講演を聞いた。著書「バカの壁」は読んだが全く判らなかった、という感想があるが、講演も最後の方は理解不能。「身体を動かさないと脳は働かない」「人間そのものが作品」などのコメントは同感できたが後半は何を言っているか分からない、相性が悪いのかな?昼休みは床屋にいってサッパリ。午後は参加型のイベント、そしてオーラスはお待ちかねの公開シンポジウムである。私はこれにもっとも魅力を感じていたのだが、いいお土産をいくつももらう事ができた。高齢者をテーマとしたこれからの私の仕事を考えると、参考になってアグリーの箇所が多々あって、ウンウンとうなづきっぱなしであった。また私の伝達しにくい想いを言葉を変えて言ってくれていた。幸せな気分になった私は幸齢者であった。パネリストの4人と司会者の人間力の高さを感じさせた。「つらい経験をした人ほど経験力は高い」「早く年をとりたいと思う新しい生き方」「私はいったい何ができるのでしょう」など大事なフレーズは、これからの仕事のために体系的にまとめておこう、と思う。ちなみに出席者だが、司会は、白石真澄関西大学教授、パネリストは、荒俣宏(作家)、加賀美幸子(千葉市女性センター名誉館長)、清家篤(慶大教授)、大津和夫(読売新聞記者)の諸氏であった。水道橋の駅前で、寿司とビールで早い夕飯とし、充実の1日を振り返りエネルギーを補給。同じ想いのパネリストに乾杯!!

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2008年10月 1日 (水)

人間ドック

年1回、恒例の人間ドックへ妻と2人で出かけた。場所は横浜のランドマークにある「AMS」で今回で3回目になる。妻とは毎回一緒に行くことにしている。私の父が母の健康診断を全くせず母は調子が悪いとして病院へ行ったら即末期癌の宣告を受けた、という苦い学習により、同じ徹を踏まないようにしている。妻と行き始めてかれこれ20年ぐらいになるであろう。数年前は、1日かかった検査が、ここでは半日でできる。予約とるのも大変だったが、中は受診者で溢れていたおり、やや息苦しい。12時過ぎ問診からスタートし、終わったのが、3時半頃であったあろうか?以下、「身体の気付き」について今回の特徴を記録しておく。嬉しかったのは、CRP。血液検査による炎症反応のことであるが、私が過去3回手術した病気の見極めは、CRPの値が大目安になっていた。検査や入院時も常にCRPがどうか、医者も私も気にしていたものだ。今回値は0.29。昨年は。0.42でよくなっている。1.0以内ならまずは良しと考えていた。私はタバコを吸っているので、過去CRPが0になったことはないが、今回の値を確認して、真の病完治を感じた。もうこれだけで充分である。もうひとつ、ちょっと嬉しかったのは、明らかに肺活量があがったこと。これはタバコの減量とスポーツジムでの腹筋運動の効果が出た。肺のレントゲンも問題なし。後は、体力低下の事実ばかり突きつけられる。腹囲はゆうに85センチを上回り、相変わらずの脂肪肝、聴力は音が遠く聞こえる。最も驚いたのは握力の低下である。右が、10%、左が20%落ちており、過去最低値であった。かって空手マンであった私にとっては、かなりショックである。左手はほとんど力が入る感じがしない。これらのマイナス点以外に中性脂肪などは恐らく悪い方向に増えているであろうから、事実はきっちり受け入れ対応していくつもりである。まとめると私の最大の悩みがメタボと体力低下であるが、一番気にしていたCRPはクリアしたので、これから本格的にメタボ対策と体力づくりをテーマとして手を打っていく、ということだ。10月から、太極拳をはじめることもあり、今のいい生活を継続、社会貢献を果たすためにも、身体の健康については、目標をつくって日々よくしていくつもりである。

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